・・・するとすぐに折り返して、三浦から返事が届きましたが、見るとその日は丁度十六夜だから、釣よりも月見旁、日の暮から大川へ舟を出そうと云うのです。勿論私にしても格別釣に執着があった訳でもありませんから、早速彼の発議に同意して、当日は兼ねての約束通・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・人形使 そのかわり、へ、へ、今度はまた月見酒だよ。雲がかかると満月がたちまちかくれる。(一息に煽切ああッ、う――い。……御勘定……(首にかけた汚き大蝦蟇口より、だらしなく紐を引いてぶら下りたる財布を絞り突銭弘法様も月もだがよ。銭も遍く金・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 日本人の遊楽の中でもいわゆる花見遊山はある意味では庭園の拡張である。自然を庭に取り入れる彼らはまた庭を山野に取り広げるのである。 月見をする。星祭りをする。これも、少し無理な言い方をすれば庭園の自然を宇宙空際にまで拡張せんとするの・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・この溝渠には曾て月見橋とか雪見橋とか呼ばれた小さな橋が幾条もかけられていたのであるが、それ等旧時の光景は今はわずかに小林清親の風景板画に於てのみ之を見るものとなった。 池の端を描いた清親の板画は雪に埋れた枯葦の間から湖心遥に一点の花かと・・・ 永井荷風 「上野」
・・・その快楽とは何ぞや。月見なり、花見なり、音楽舞踏なり、そのほか総て世の中の妨げとならざる娯しみ事は、いずれも皆心身の活力を引立つるために甚だ緊要のものなれば、仕事の暇あらば折を以て求むべきことなり。これを第五の仕事とすべし。 右の五ヶ条・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・緇素月見樒つみ鷹すゑ道をかへゆけど見るは一つの野路の月影 この歌は『古今』よりも劣りたる調子なり。かくのごとき理屈の歌は「月を見る」というような尋常の句法を用いて結ぶ方よろし。「見るは月影」と有形物をもって結びた・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・やがて「酒載せてただよふ舟の月見かな」と出来た。これがその時はいくらか句になって居るように思われて、満足はしないが、これに定みょうかとも思うた。実は考えくたびれたのだ。が、思うて見ると、先日の会に月という題があって、考えもしないで「鎌倉や畠・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処を、蛙どもは雲見をやります。「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」「実に僕たちの理想だね。」 雲のみねはだんだん・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
八月の十五日は、晴れた夜が多いのに、九月の十五夜は、いつも曇り勝だ。 今年は珍しく快晴で、令子も縁側から月見をした。 澄み輝き大らかな月が、ポプラーの梢の上にのぼると、月に浮かされた向う通りの家の書生達が大勢屋根へ・・・ 宮本百合子 「黒い驢馬と白い山羊」
支那や日本の絵にはよく竹が出てくる。絵の習い始めの人さえ描かせられるものだが、一般化しすぎているため却て本当の美しさがわからなかった。今住んでいる新町へ去年の五月見に来た時、彼方こっちにある竹やぶの中を歩き、こうまで美に溢・・・ 宮本百合子 「竹」
出典:青空文庫