・・・俺はあのオオクションへ行った帰りに租界の並み木の下を歩いて行った。並み木の槐は花盛りだった。運河の水明りも美しかった。しかし――今はそんなことに恋々としている場合ではない。俺は昨夜もう少しで常子の横腹を蹴るところだった。……「十一月×日・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・僕はある時冬青の木の下に細い一本の草を見つけ、早速それを抜きすててしまった。僕の所業を知った父は「せっかくの蘭を抜かれた」と何度も母にこぼしていた。が、格別、そのために叱られたという記憶は持っていない。蘭はどこでも石の間に特に一、二茎植えた・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・その男は、後間もなく、木樵りがの木を伐り倒すのに手を借して、その木の下に圧されて歿くなりました。これによく似ているのは、ロストックで数学の教授をしていた Becker に起った実例でございましょう。ベッカアはある夜五六人の友人と、神学上の議・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・……巫山戯た爺が、驚かしやがって、頭をコンとお見舞申そうと思ったりゃ、もう、すっこ抜けて、坂の中途の樫の木の下に雨宿りと澄ましてけつかる。 川端へ着くと、薄らと月が出たよ。大川はいつもより幅が広い、霧で茫として海見たようだ。流の上の真中・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・行くこと数百歩、あの樟の大樹の鬱蓊たる木の下蔭の、やや薄暗きあたりを行く藤色の衣の端を遠くよりちらとぞ見たる。 園を出ずれば丈高く肥えたる馬二頭立ちて、磨りガラス入りたる馬車に、三個の馬丁休らいたりき。その後九年を経て病院のかのことあり・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・柿の木の下から背戸へ抜け槇屏の裏門を出ると松林である。桃畑梨畑の間をゆくと僅の田がある。その先の松林の片隅に雑木の森があって数多の墓が見える。戸村家の墓地は冬青四五本を中心として六坪許りを区別けしてある。そのほどよい所の新墓が民子が永久の住・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・それから二本の白樺の木の下の、寂しい所に、物を言わぬ証拠人として拳銃が二つ棄ててあるのを見出した。拳銃は二つ共、込めただけの弾丸を皆打ってしまってあった。そうして見ると、女房の持っていた拳銃の最後の一弾が気まぐれに相手の体に中ろうと思って、・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・また、あの子が父親といっしょに、この木の下にいる時分は、雨や、風をしのいでやったものだ。蔭になり、ひなたになりして護ってやったことを、あの子は、よく憶えているはずだ。あの子は、俺の荒い肌をさすって、小父さん、小父さんといったものだ。」「・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・ 吉雄くんの植えたいちじゅくは、庭のすみで、ほかの木の下になって、日がよく当たらなかったので、いつまでたっても実がなりませんでした。「私を、こんなところに植えたんだもの。」と、木は、不平をいいつづけていました。 ある夏のこと、ち・・・ 小川未明 「いちじゅくの木」
・・・記念祭の夜応援団の者に撲られたことを機縁として、五月二日、五月三日、五月四日と記念祭あけの三日間、同じ円山公園の桜の木の下で、次々と違った女生徒を接吻してやった。それで心が慰まった。高校生に憧れて簡単にものにされる女たちを内心さげすんでいた・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫