平成6年(1994)、日本社会党委員長村山富市が連立政権の首相に就任した際、政策協調のため、独断的に同党の政策を転換させたことなどから、求心力を失い、解党への道をたどったこと。
[補説]自由民主党・日本社会党・
新党さきがけによる連立政権(
自社さ連立政権)の首相村山富市は、所信表明演説で
自衛隊合憲・
日米安保堅持・
原発容認などを
表明。
党内での
十分な
議論を経ずに同党の
根幹にかかわる
政策を180度転換させたことから、
支持を失い、
平成7年(1995)の第17回
参議院通常選挙、および
社会民主党として臨んだ
平成8年(1996)の第41回
衆議院総選挙で
大敗を喫し、野党第一党の座を失った。