・・・廷珸も人命沙汰になったので土地にはいられないから、出発して跡を杭州にくらました。周丹泉の造った模品はこれで土に返った訳である。 談はもうこれで沢山であるのに、まだ続くから罪が深い。廷珸が前に定窯の鼎類数種を蒐めた中に、なお唐氏旧蔵の定鼎・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・星巌及び其社中の詩人は蓮塘と書し又杭州の西湖に擬して小西湖と呼んだ。星巌が不忍池十詠の中霽雪を賦して「天公調二玉粉一。装飾小西湖。」と言っているが如きは其一例である。維新の後星巌の門人横山湖山が既に其姓を小野と改め近江の郷里より上京し、不忍・・・ 永井荷風 「上野」
・・・魯迅は「そこの家の虐遇に堪えかねて間もなく作人をそこに残して自分だけ杭州の生家へ帰った」そして、病父のためにえらい辛酸を経験した。 作人はその間に、魯迅と一緒にあずけられた家から祖父の妾の家へ移って、勉学のかたわら獄舎の祖父の面会に行っ・・・ 宮本百合子 「兄と弟」
出典:青空文庫