まつもとけいどう【松本奎堂】
[1832〜1863]幕末の尊攘派の志士。三河の人。通称、謙三郎。昌平坂学問所に学び、のち大坂に家塾を開いた。中山忠光らと天誅組を組織して大和に挙兵したが、8月18日の政変で賊名を受けて敗死。
まつもとこうしろう【松本幸四郎】
歌舞伎俳優。屋号、高麗屋 (こうらいや) 。 (初世)[1674〜1730]下総 (しもうさ) の人。実事・荒事に長じた。 (5世)[1764〜1838]江戸の人。実悪に長じ、古今無双・三都随一といわれた名優。俗に、鼻高幸四郎ともよばれた。 (7世)[1870〜1949]三重の生まれ。11世市川団十郎・8世松本幸四郎・2世尾上松緑の父。時代物・舞踊・新作にすぐれ、当たり役の「勧進帳」の弁慶は有名。 (8世)[1910〜1982]7世の次男。東京の生まれ。時代物を得意とし、晩年は初世松本白鸚 (はくおう) を名のった。文化勲章受章。
まつもとし【松本市】
⇒松本
まつもとじいちろう【松本治一郎】
[1887〜1966]社会運動家・政治家。福岡の生まれ。水平社運動に参加し、大正14年(1925)全国水平社委員長、のち社会大衆党から衆議院議員に当選。第二次大戦後、部落解放全国委員会(のちの部落解放同盟)委員長・参議院議員・初代参議院副議長・日中友好協会会長などを務め、部落解放運動・平和運動を指導。
まつもとしゅんすけ【松本竣介】
[1912〜1948]洋画家。東京の生まれ。中学生時代に聴力を失いながら、清澄な叙情のもとに、孤独な心象を託した都会風景を描いた。
まつもとじょう【松本城】
長野県松本市にある旧松本藩の城。永正元年(1504)小笠原氏の一族島立貞永が築城、深志城と称した。のち、松本城と改称。天正18年(1590)入城した石川数正が現存の天守閣を含む城を造り、その子康長がさらに整備して完成。天守閣は国宝。
まつもとせいちょう【松本清張】
[1909〜1992]小説家。福岡の生まれ。本名、清張 (きよはる) 。犯罪の動機を重視し、背後にある現代社会の仕組みを描き出した推理小説「点と線」「ゼロの焦点」などで、社会派推理小説という新分野を開拓。時代小説・ノンフィクション・古代史論考などの分野でも活躍。他に「日本の黒い霧」「砂の器」など多数。
まつもとながし【松本長】
[1877〜1935]能楽師。シテ方宝生流。静岡の生まれ。16世宝生九郎に師事、野口兼資 (のぐちかねすけ) とともに宝生流の双璧 (そうへき) とうたわれた。
まつもとぼんち【松本盆地】
長野県中西部の断層盆地。大町・松本・塩尻の各市がある。高瀬川・梓 (あずさ) 川・奈良井川などが形成する扇状地が発達。安曇 (あずみ) 平。松本平。
まつもとりょうじゅん【松本良順】
[1832〜1907]西洋医学者。江戸の人。字 (あざな) は子良。号は蘭疇 (らんちゅう) 。佐藤泰然の次男。幕命により長崎でポンペに学び、江戸に戻ってから医学所頭取。のち明治新政府の初代陸軍軍医総監を務めた。