二科会 有島生馬氏。 この人の色彩が私にはあまり愉快でない。いつも色と色とがけんかをしているようで不安を感じさせられる。ことしの絵も同様である。生得の柔和な人が故意に強がっているようなわざとらしさを感じる。それ・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・しかし顔にはむしろ柔和な、人の好さそうな表情があった。ただ額の真中に斜めに深く切り込んだような大きな創痕が、見るも恐ろしく気味悪く引き釣っていた。よく見ると右の腕はつけ元からなくて洋服の袖は空しくだらりと下がっている。一足二足進み寄るのを見・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・ケーベルさんは少しはにかんだような色を柔和な顔に浮かべて聴衆に挨拶した。 演奏していた時の様子も思い出す。少し背中を猫背に曲げて、時々仰向いたり、軽くからだを前後に動かしたりしているのがいかにも自由な心持ちでそして三昧にはいっているよう・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・家君さんは平田に似て、それで柔和で、どこか気抜けがしているようにも見え、自分を見てどこから来たかと言いたそうな顔をしていて、平田から仔細を聞いて、急に喜び出して大層自分を可愛がッてくれる。弟も妹も平田から聞いていた年ごろで、顔つき格向もかね・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・既に温良恭謙柔和忍辱の教に瞑眩すれば、一切万事控目になりて人生活動の機を失い、言う可きを言わず、為す可きを為さず、聴く可きを聴かず、知る可きを知らずして、遂に男子の為めに侮辱せられ玩弄せらるゝの害毒に陥ることなきを期す可らず。故に此一章の文・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 暮になったとき柔和な顔を忙しさで上気させている弟の家内の日頃の姿を目に浮かべ、私は何を三十三のお祝にやったらいいだろうと考えながら銀座を歩いた。 私が十九の時母は紅白の鱗形の襦袢の袖を着せた。三十三もやっぱり鱗なのかしら。私の三十・・・ 宮本百合子 「小鈴」
・・・雄勁であるからこそほとんど優美であり、堅忍でありえてはじめて湛えられる柔和の情感にみち、彼らの科学のようにリアリスティックであり、彼らの生産プランのようにテーマと様式の統一にたいして本気である、そういう文学が、彼らの偉大な勝利ののちに生みえ・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・一生懸命に暮せばこそ身につきもするそういう女のがんばりについてその一途さにねうちがあるからこそ、一方のひずみとして現れるがんばりは、もっとひろやかで聰くより柔和なものに高められなければならないのだと、誰が、良人のいない、暮しのきつい後家たち・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・にも心を労されず終日にこにこした柔和な一老婦人であった。鋼鉄が遂に柔げられて、その九十年の生涯を終ったのは一九一〇年であった。〔一九四〇年四月。一九四六年六月補〕 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
・・・先下々の者が御挨拶を申上ると、一々しとやかにお請をなさる、その柔和でどこか悲しそうな眼付は夏の夜の星とでもいいそうで、心持俯向いていらっしゃるお顔の品の好さ! しかし奥様がどことなく萎れていらしって恍惚なすった御様子は、トント嬉かった昔を忍・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫