・・・それより猶お女のつれないということが彼には当然のことなのでそれを格別不足に思うということはなくなって居たのである。女房とすら彼は余所目には打ち解けなかった。朝夕顔を見合わす間柄はそんなに追従いうことの出来ないのは当然である。だが其兄とさえ昵・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・「昨日は格別さ。二百十日だもの。その代り僕は饂飩を何遍も喰ってるじゃないか」「ハハハハ、ともかくも……」「まあいいよ。談判はあとにして、ここに宿の人が待ってるから……」「そうか」「おい、君」「ええ」「君じゃない。・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・骨肉の情いずれ疎なるはなけれども、特に親子の情は格別である、余はこの度生来未だかつて知らなかった沈痛な経験を得たのである。余はこの心より推して一々君の心を読むことが出来ると思う。君の亡くされたのは君の初子であった、初子は親の愛を専らにするが・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・原書のみにて人を導かんとするも、少年の者は格別なれども、晩学生には不都合なり。 二十四、五歳以上にて漢書をよく読むという人、洋学に入る者あれども、智恵ばかり先ばしりて、乙に私の議論を貯えて心事多きゆえ、横文字の苦学に堪えず、一年を経・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・これまで申上げると、わたくしはこの手紙を上げる理由を御話申さなくてはなりませんから、その前に今の夫の事を申しましょう。格別面白いお話ではございませんから、なるたけ簡略に致します。ジネストは情なしの利己主義者でございます。けちな圧制家でござい・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・尤も私の席はその風の通り路からすこし外れていましたから格別涼しかったわけでもありませんでしたが、それでも向うの書類やテーブルかけが、ぱたぱた云っているのを見るのは実際愉快なことでした。それでもそんな仕事のあいまに、ふっとファゼーロのことを思・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・どんな息子にしろ、格別の感情を抱いてもいない妹の友達たち一人一人をやがての嫁選びのような目で自分にひきつけて眺められることには我慢しきれない神経をもっていると思う。家庭というもののうちにあるそういう煩わしい、幾分悲しく腹立たしい過敏な視線が・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
・・・膝のあたりを格別に拡げるのは、刈り入れの時、体躯のすわる身がまえの癖である。白い縫い模様のある襟飾りを着けて、糊で固めた緑色のフワフワした上衣で骨太い体躯を包んでいるから、ちょうど、空に漂う風船へ頭と両手両足をつけたように見える。 これ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・しかし木村は格別それを不幸にも感じていないらしい。 夕立のあとはまた小降になって余り涼しくもならない。 十一時半頃になると、遠い処に住まっているものだけが、弁当を食いに食堂へ立つ。木村は号砲が鳴るまでは為事をしていて、それから一人で・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・徳蔵おじは大層な主人おもいで格別奥さまを敬愛している様子でしたが、度々林の中でお目通りをしてる処を木の影から見た事があるんです。そういう時は、徳蔵おじは、いつも畏って奥様の仰事を承っているようでした。勿論何のことか判然聞取なかったんですが、・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫