・・・ろさざるなり、ペダルに足をかけざるなり、ただ力学の原理に依頼して毫も人工を弄せざるの意なり、人をもよけず馬をも避けず水火をも辞せず驀地に前進するの義なり、去るほどにその格好たるやあたかも疝気持が初出に梯子乗を演ずるがごとく、吾ながら乗るとい・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・ 店梯子を駈け上る四五人の足音がけたたましく聞えた。「お客さまア」と、声々に呼びかわす。廊下を走る草履が忙しくなる。「小万さんの花魁、小万さんの花魁」と、呼ぶ声が走ッて来る。「いやだねえ、今時分になって」と、小万は返辞をしないで眉を・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・草を刈り、牛を飼い、草臥はてたるその子供を、また学校に呼びて梯子登りの稽古か、難渋至極というべし。『論語』『大学』の教もまた、この技芸の如し。今の百姓の子供に、四角な漢字の素読を授け、またはその講釈するも、もとより意味を解すものあるべか・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・それに驚いて、鱶を一目見るや否や梯子を下りて来て、自分の行李から用意の薬を取り出し、それを袋のままで着て居る外套のカクシへ押し込んで、そうして自分の座に帰って静かに寝て居た。自分の座というのは自分が足を伸ばして寝るだけの広さで、同業の新聞記・・・ 正岡子規 「病」
・・・ 台所へ出てから、二階への梯子があり、二階も縁側があり、入ってすぐが六畳、奥が四畳半。六畳の方に山田のおばあちゃん[自注10]のくれた机をおいて、四畳半へテーブルと、あなたのつかっていらした本棚をおきおさまっている次第です。二階の景色は・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 「天上から地上へのぼるために無残にもおれた梯子である」芥川 敗北の文学 「小ブルジョアジイの諸属性の中で「自我に関する思索」こそが基本的な一線であることを知るのである。」p.16 しかし、小ブルジョアジー・・・ 宮本百合子 「「敗北の文学」について」
・・・ お松は夜着の中から滑り出て、鬆んだ細帯を締め直しながら、梯子段の方へ歩き出した。二階の上がり口は長方形の間の、お松やお金の寝ている方角と反対の方角に附いているので、二列に頭を衝き合せて寝ている大勢の間を、お松は通って行かなくてはならな・・・ 森鴎外 「心中」
・・・そして女中の跡に附いて、平山と並んで梯子を登った。 二階は西洋まがいの構造になっていて、小さい部屋が幾つも並んでいる。大勢の客を留める計画をして建てた家と見える。廊下には暗い電燈が附いている。女中が平山に、「あなたはこちらで」と一つの戸・・・ 森鴎外 「鼠坂」
一 丘の先端の花の中で、透明な日光室が輝いていた。バルコオンの梯子は白い脊骨のように突き出ていた。彼は海から登る坂道を肺療院の方へ帰って来た。彼はこうして時々妻の傍から離れると外を歩き、また、妻の顔を新・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・ 姉は梁の端に吊り下っている梯子を昇りかけた。すると吉は跣足のまま庭へ飛び降りて梯子を下から揺すぶり出した。「恐いよう、これ、吉ってば。」 肩を縮めている姉はちょっと黙ると、口をとがらせて唾を吐きかける真似をした。「吉ッ!」・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫