・・・先生はまるで雷に撃たれたように、口を半ば開けたまま、ストオヴの側へ棒立ちになって、一二分の間はただ、その慓悍な生徒の顔ばかり眺めていた。が、やがて家畜のような眼の中に、あの何かを哀願するような表情が、際どくちくりと閃いたと思うと、急に例の紫・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ と、雑所も棒立ちになったが、物狂わしげに、「なぜ、投げる。なぜ茱萸を投附ける。宮浜。」 と声を揚げた。廊下をばらばらと赤く飛ぶのを、浪吉が茱萸を擲つと一目見たのは、矢を射るごとく窓硝子を映す火の粉であった。 途端に十二時、・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ほかの七人も棒立ちになって、一人の中山服を見つめた。若し、支那兵が一人きりなら、それを片づけるのは訳のない仕事だ。しかし、機関銃を持って十人も、その中にかくれているか、或は、銃声をきゝつけて、附近から大部隊がやって来るとすると、こちらがみな・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・手でばたばた七輪を煽いでいたので聞えず、返事をしなかったら、夫は、その時だけは、ものすごい顔をしてマサ子を抱いてお勝手へ来て、マサ子を板の間におろして、それから、殺気立った眼つきで私をにらみ、しばらく棒立ちになっていらして、一ことも何もおっ・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ 娘は棒立ちになり、顔に血の気を失い、下唇を醜くゆがめたと思うと、いきなり泣き出した。 母は広島の空襲で死んだというのである。死ぬる間際のうわごとの中に、笠井さんの名も出たという。 娘はひとり東京へ帰り、母方の親戚の進歩党代議士・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・ ホテルの三階のヴェランダで見ていると、庭前の噴水が高くなり低くなり、細かく砕けたりまた棒立ちになったりする。その頂点に向かう視線が山頂への視線を越しそうで越さない。風が来ると噴水が乱れ、白樺が細かくそよぎ竹煮草が大きく揺れる。ともかく・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・と云いながら、爺いさんは棒立ちに立って、右の手を外套の隠しに入れて、左の手を高くさし伸べた。 一本腕はあっけに取られて見ている。 爺いさんは左の手を開いた。指の間に小さい物を挟んでいる。不思議にも、その小さい物が、この闇夜に漏れて来・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしん・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・とかわるがわる叫びながら大悦びで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合せてぶるぶるふるえました。がひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけはそのしんとした朝・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・と叫んで棒立ちになってしまいました。見るとくちびるのいろまで水いろになって、ぼんやりまっすぐを見つめているのです。「病気が出たんだ。」主人がやっと言いました。「頭でも痛いんですか。」ブドリはききました。「おれでないよ。オリザよ。・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
出典:青空文庫