・・・ それらと闘いぬいて出て来ると、敵は何とかケチをつけるため、父親が一札を入れたおかげで出されたのだとか、あやまったからだとか「今回の検挙によって思想上に一転機を来した」から釈放されたとか、ブル新聞に書き立てさせる。文化活動者として私をわれわ・・・ 宮本百合子 「逆襲をもって私は戦います」
・・・ひっくるめて、三・一五といってしまえば、そのなかには今日私たちがはっきり敵として理解しなければならぬ人々をもふくんでいるのであるから三・一五を記念するならば、三・一五の検挙を通じて今日まで一貫して勤労階級の解放のために闘いつづけている人々を・・・ 宮本百合子 「共産党とモラル」
・・・その婦人はそういう親切を咎められて検挙もされた。今日そのひとは、どんな記念賞の晴れ役にもならず混雑した室の小さい机に向って地味に民衆のために働いているのである。〔一九四六年八月〕 宮本百合子 「行為の価値」
・・・前年五月中旬検挙された百合子は、十月下旬治安維持法によって起訴され、市ヶ谷刑務所未決に収容された。一九三六年一月三十日、父中條精一郎が死去した。百合子は五日間仮出獄した。ふたたび市ヶ谷にかえり予審中、二・二六事件が起った。三月下旬、保釈とな・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・一ヵ月あまりののち、プロレタリア文化団体に対する全面的弾圧がはじまって、四月七日、顕治は非合法生活に入り、百合子は検挙された。そういう事情のために百合子の入籍手続がおくれていた。[自注6]壺井さん、栄さん――壺井栄。[自注7]島田の・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・十二月二十四日開催の第七十三議会に先立つこと九日の十五日に日本無産党・全評を中心として全国数百人の治維法違反容疑者の検挙が行われ、議会に席を有する加藤勘十、黒田寿男氏等は何日も経ず起訴された。被検挙者中には、大森義太郎、向坂逸郎、猪俣津南雄・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・「昭和八年十一月二十八日敵の摘発の毒牙にかかって遂に検挙され」当時既に肺結核を患っていた野呂は「警察における処遇に抗しかねて僅か二ヶ月に足らずして品川署で最後の呼吸をひきとった。数え年三十五歳であった。」 当時私の友達が偶然野呂さんのい・・・ 宮本百合子 「信義について」
・・・その中には、日本の民主化のために骨髄的諸項――たとえば労働組合の政治活動の自由・政党支持の自由・組合員であるからといって不当なとり扱いを蒙ることはないし、検挙をうけたりすることもないようにという条項など――が明文化された。ここまで、日本の労・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・法学博士で大臣だった三土忠造でさえ、一九二九年か三〇年ごろ涜職事件で検挙投獄され、公判廷で奮闘して無罪を証明したあとで『幽囚記』という本をかいた。その中で政治的な事件の本質と、検事のとりしらべの強権にふれている。 三鷹事件が、多くの良識・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・太平洋戦争がはじまるとともに検挙されて、翌年の七月末、熱射病で死ぬものとして巣鴨の拘置所から帰された。そのとき心臓と腎臓が破壊され視力も失い、言語も自由でなくなった。戦争の年々にそろそろ恢復したが、この三、四年来の繁忙な生活で去年の十二月、・・・ 宮本百合子 「孫悟空の雲」
出典:青空文庫