・・・お蓮は房楊枝を啣えながら、顔を洗いに縁側へ行った。縁側にはもういつもの通り、銅の耳盥に湯を汲んだのが、鉢前の前に置いてあった。 冬枯の庭は寂しかった。庭の向うに続いた景色も、曇天を映した川の水と一しょに、荒涼を極めたものだった。が、その・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・――こう云う調子で、啣え楊枝のまま与兵衛を出ると、麦藁帽子に梅雨晴の西日をよけて、夏外套の肩を並べながら、ぶらりとその神下しの婆の所へ出かけたと云います。 ここでその新蔵の心配な筋と云うのを御話しますと、家に使っていた女中の中に、お敏と・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・内職の、楊枝を辻占で巻いていた古女房が、怯えた顔で――「話に聞いた魔ものではないかのう。」とおっかな吃驚で扉を開けると、やあ、化けて来た。いきなり、けらけらと笑ったのは大柄な女の、くずれた円髷の大年増、尻尾と下腹は何を巻いてかくしたか、縞小・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ただ一分間、一口含みまして、二三度、口中を漱ぎますと、歯磨楊枝を持ちまして、ものの三十分使いまするより、遥かに快くなるのであります。口中には限りません。精神の清く爽かになりますに従うて、頭痛などもたちどころに治ります。どうぞ、お試し下さい、・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・――旦那の前でございますが、板前へと、御丁寧にお心づけを下すったものでございますから私……ちょいと御挨拶に出ました時、こういうおたずねでございます――お社へお供物にきざ柿と楊枝とを買いました、……石段下のそこの小店のお媼さんの話ですが、山王・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・いちじくの葉かげから見えたのは、しごき一つのだらしない寝巻き姿が、楊枝をくわえて、井戸端からこちらを見て笑っている。「正ちゃん、いいものをあげようか?」「ああ」と立ちあがって、両手を出した。「ほうるよ」と、しなやかにだが、勢いよ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・しかもあとお茶をすすり、爪楊子を使うとは、若気の至りか、厚顔しいのか、ともあれ色気も何もあったものではなく、Kはプリプリ怒り出して、それが原因でかなり見るべきところのあったその恋も無残に破れてしまったのである。けれども今もなお私は「月ヶ瀬」・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ ある年の晦日には、千曲川の河童までが見物に来たというが、それと知つてか知らずにか、「やい、おのれは、千曲川の河童にしゃぶられて、余った肋骨は、鬼の爪楊子になりよるわい」 と、一人が言えば、「おのれは、鳥居峠の天狗にさらわれ・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・冬吉が金輪奈落の底尽きぬ腹立ちただいまと小露が座敷戻りの挨拶も長坂橋の張飛睨んだばかりの勢いに小露は顫え上りそれから明けても三国割拠お互いに気まずく笑い声はお隣のおばさんにも下し賜わらず長火鉢の前の噛楊子ちょっと聞けば悪くないらしけれど気が・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・そのかわり、バナナを一日に二十本ずつ、妻楊枝、日に三十本は確実、尖端をしゅろの葉のごとくちぢに噛みくだいて、所かまわず吐きちらしてあるいて居られる由、また、さしたる用事もなきに、床より抜け出て、うろついてあるいて、電燈の笠に頭をぶっつけ、三・・・ 太宰治 「虚構の春」
出典:青空文庫