・・・ なるほど奇麗だ。次の間へ籠を据えて四尺ばかりこっちから見ると少しも動かない。薄暗い中に真白に見える。籠の中にうずくまっていなければ鳥とは思えないほど白い。何だか寒そうだ。 寒いだろうねと聞いてみると、そのために箱を作ったんだと云う・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・ 次の間の長火鉢で燗をしながら吉里へ声をかけたのは、小万と呼び当楼のお職女郎。娼妓じみないでどこにか品格もあり、吉里には二三歳の年増である。「だッて、あんまりうるさいんだもの」「今晩もかい。よく来るじゃアないか」と、小万は小声で・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
朝蚊帳の中で目が覚めた。なお半ば夢中であったがおいおいというて人を起した。次の間に寝て居る妹と、座敷に寐て居る虚子とは同時に返事をして起きて来た。虚子は看護のためにゆうべ泊ってくれたのである。雨戸を明ける。蚊帳をはずす。この際余は口の・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・是非死ぬとなりャ遺言もしたいし辞世の一つも残さなけりャ外聞が悪いし……………ヤア何だか次の間に大勢よって騒いで居るナ「ビョウキキトク」なんていう電報を掛けるとか何とかいってるのだろう。ナニ耳のそばで誰やら話ししかけるようだ、何かいう事ないか・・・ 正岡子規 「墓」
・・・店の次の間に大きな唐金の火鉢を出して主人がどっかり座っていた。「旦那さん、先ころはどうもありがどうごあんした」 あの山では主のような小十郎は毛皮の荷物を横におろして叮ねいに敷板に手をついて言うのだった。「はあ、どうも、今日は何の・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・ 一太の母は、不平そうに慍ったような表情を太い縦皺の切れ込んだ眉間に浮べたまま次の間に来た。小さい餉台の上に赭い素焼の焜炉があり、そこへ小女が火をとっていた。一太は好奇心と期待を顔に現して、示されたところに坐った。「今じき何か出来る・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ 自分は次の間に、お節は父親のそばに分れて部屋を暗くすると二人ともが安心と疲れが一時に出て五分とたたない中に快さそうな寝息をたてて居た。 翌朝いつまでも栄蔵は起きなかった。お節があやしんで体にさわった時には氷より冷たく強ってしまって・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 祖母は次の間に入って暫く箪笥の引出しを開けたりしめたりして居たが、出て来た時には手に帳面を持って居た。 帳面を始めっから繰って見て渋い渋い顔をした祖母は、「今度で十六俵だよ。と云いながら、何とはなし重々しい様子で菊・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 待合にしてある次の間には幾ら病人が溜まっていても、翁は小さい煙管で雲井を吹かしながら、ゆっくり盆栽を眺めていた。 午前に一度、午後に一度は、極まって三十分ばかり休む。その時は待合の病人の中を通り抜けて、北向きの小部屋に這入って、煎・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・ 表側は、玄関から次の間を経て、右に突き当たる西の詰が一番好い座敷で、床の間が附いている。爺さんは「一寸御免なさい」と云って、勝手へ往ったが、外套と靴とを置いて、座布団と煙草盆とを持って出て来た。そして百日紅の植わっている庭の方の雨戸が・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫