・・・十五の年から茶屋酒の味をおぼえて、二十五の前厄には、金瓶大黒の若太夫と心中沙汰になった事もあると云うが、それから間もなく親ゆずりの玄米問屋の身上をすってしまい、器用貧乏と、持ったが病の酒癖とで、歌沢の師匠もやれば俳諧の点者もやると云う具合に・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・ひたすら疇昔を悔いて出入りに世話をやかせぬ神妙さは遊ばぬ前日に三倍し雨晨月夕さすが思い出すことのありしかど末のためと目をつぶりて折節橋の上で聞くさわぎ唄も易水寒しと通りぬけるに冬吉は口惜しがりしがかの歌沢に申さらく蝉と螢を秤にかけて鳴いて別・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・川竹の憂き身をかこつ哥沢の糸より細き筆の命毛を渡世にする是非なさ……オット大変忘れたり。彼というは堂々たる現代文士の一人、但し人の知らない別号を珍々先生という半可通である。かくして先生は現代の生存競争に負けないため、現代の人たちのする事は善・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・八重はあしたの晩、哥沢節のさらいに、二上りの『月夜烏』でも唱おうかという時、植込の方で烏らしい鳥の声がしたので、二人は思わず顔を見合せて笑った。その時分にはダンスはまだ流行していなかったのだ。 麻布に廬を結び独り棲むようになってからの事・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・てくれたものは、仏蘭西人が Sarah Bernhardt に対し伊太利亜人が Eleonora Duse に対するように、坂東美津江や常磐津金蔵を崇拝した当時の若衆の溢れ漲る熱情の感化に外ならない。哥沢節を産んだ江戸衰亡期の唯美主義は私を・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・という節廻しから拍子の間取りが、山の手の芸者などには到底聞く事の出来ぬ正確な歌沢節であった。自分はなつかしいばかりでない、非常な尊敬の念を感じて、男の顔をば何んという事もなくしげしげ眺めた。 さして年老っているというでもない。無論明治に・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・巴里の町にふる雪はプッチニイが『ボエーム』の曲を思出させる。哥沢節に誰もが知っている『羽織かくして』という曲がある。羽織かくして、 袖ひきとめて、 どうでもけふは行かんすかと、言ひつつ立つて櫺子窓、 障子ほそめに引きあけて・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・ Y 医者にかよわせ、歌沢をならわす。よい天分、然し芸で立つ気はない。男、弟子の一人ですいて居るらしいのを知りもちかけ、金を出させようとす。 男、心のことと思う。ソゴし、駄目。 友達であった女、神戸に鳥屋をして居、それを、男のた・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
出典:青空文庫