・・・ この上、雷。 大雷は雪国の、こんな時に起ります。 死力を籠めて、起上ろうとすると、その渦が、風で、ごうと巻いて、捲きながら乱るると見れば、計知られぬ高さから颯と大滝を揺落すように、泡沫とも、しぶきとも、粉とも、灰とも、針とも分・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・お通は止むなく死力を出して、瞬時伝内とすまいしが、風にも堪えざるかよわき婦人の、憂にやせたる身をもって、いかで健腕に敵し得べき。 手もなく奥に引立てられて、そのままそこに押据えられつ。 たといいかなる手段にても到底この老夫をして我に・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・熊本君は、ちゃんと私たちと向い合って坐っていて、いましがた死力を尽して奪い返したデリケエトのナイフが、損傷していないかどうか、たんねんに調べ、無事である事を見とどけてから、ハンケチに包んで右の袂の中にしまい込み、やっと、ほっとしたような顔に・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。間・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・意気地なく泣きながらも死力を出して、何処でも手当り次第に引っかき噛みつくのであった。喧嘩を慰みと思っている軍人党と、一生懸命の弱虫との挌闘にはたいてい利口な軍人の方が手を引く。これはどちらが勝ってどちらが負けたのだか、今考えても判らない。・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・内君たる者は死力を尽して之を争う可し。世間或は之を見て婦人の嫉妬など言う者もあらんなれども、凡俗の評論取るに足らず、男子の獣行を恣にせしむるは男子その者の罪に止まらず、延いて一家の不和不味と為り、兄弟姉妹相互の隔意と為り、其獣行翁の死後には・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 或はいう、王政維新の成敗は内国の事にして、いわば兄弟朋友間の争いのみ、当時東西相敵したりといえどもその実は敵にして敵にあらず、兎に角に幕府が最後の死力を張らずしてその政府を解きたるは時勢に応じて好き手際なりとて、妙に説を作すものあれど・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・人類の誇りである智慧さえ、玲瓏無垢な幸福をつくるために役立てられるというより、死力をつくして黒煙を噴き出し火熱をやきつかせるために駆使されているようではないか。 目前の凄じい有様にきもをひやされて、人々はこれらの現実の中に幸福はないと結・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・しかし、作家に成長があるとすれば、畢竟はこの自身のコムプレックスと死力をつくしてもみ合って、それを最大の可能へまで昂揚拡大させ、表現してゆくその「変って」ゆく道しかないのであろうと思う。 車善六の作者が、作家として持っている複雑なコムプ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
出典:青空文庫