・・・樽崎という京の町医者の娘だったが、樽崎の死後路頭に迷っていたのを世話をした人に連れられて風呂敷包みに五合の米入れてやった時、年はときけば、はい十二どすと答えた声がびっくりするほど美しかった。 伊助の浄瑠璃はお光が去ってからきゅうに上・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 妻子の水死後全然失神者となって東京を出てこの方幾度自殺しようと思ったか知れない。衣食のために色々の業に従がい、種々の人間、種々の事柄に出会い、雨にも打たれ風にも揉れ、往時を想うて泣き今に当って苦しみ、そして五年の歳月は澱みながらも絶ず・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・それから段々話しているうちに老人は死後のことに就き色々と拙者に依托せられた、その様子が死期の遠からぬを知っておらるるようで拙者も思わず涙を呑んだ位であった、其処で貴所の一条を持出すに又とない機会と思い既に口を切ろうとすると、意外も意外、老人・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・近代の知性は冷やかに死後の再会というようなことを否定するであろうが、この世界をこのアクチュアルな世界すなわち娑婆世界のみに限るのは絶対の根拠はなく、それがどのような仕組みに構成されているかということは恐らく人知の意表に出るようなことがありは・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・しかも死後の名声という附録つきです。傑作をひとつ書くことなのさ。これですよ。」 僕は彼の雄弁のかげに、なにかまたてれかくしの意図を嗅いだ。果して、勝手口から、あの少女でもない、色のあさぐろい、日本髪を結った痩せがたの見知らぬ女のひとがこ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・そのほか、処々の無智ゆえに情薄き評定の有様、手にとるが如く、眼前に真しろき滝を見るよりも分明、知りつつもわれ、真珠の雨、のちのち、わがためのブランデス先生、おそらくは、わが死後、――いやだ! 真珠の雨。無言の海容。すべて、これらのお・・・ 太宰治 「創生記」
・・・先生の死後に出て来たノートの中に「Tのすしの食い方」と覚え書きのしてあったのは、この時のことらしい。 千駄木へ居を定められてからは、また昔のように三日にあげず遊びに行った。そのころはやはりまだ英文学の先生で俳人であっただけの先生の玄関は・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・しかし父の死後に家族全部が東京へ引き移り、旧宅を人に貸すようになってからいつのまにかこの楠は切られてしまった。それでこの「秋庭」の画面にはそれが見えないのは当然である。しかしそれが妙に物足りなくもさびしくも思われるのであった。 次に目に・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・しかし当局者も全く無霊魂を信じきれぬと見える、彼らも幽霊が恐いと見える、死後の干渉を見ればわかる。恐いはずである。幸徳らは死ぬるどころか活溌溌地に生きている。現に武蔵野の片隅に寝ていたかくいう僕を曳きずって来て、ここに永生不滅の証拠を見せて・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・今わたくしがこれに倣って、死後に葬式も墓碣もいらないと言ったなら、生前自ら誇って学者となしていたと、誤解せられるかも知れない。それ故わたくしは先哲の異例に倣うとは言わない。唯死んでも葬式と墓とは無用だと言っておこう。 自動車の使用が盛に・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫