・・・帰りに矢来から江戸川の終点へ出ると、明き地にアセチリン瓦斯をともして、催眠術の本を売っている男がある。そいつが中々たくれいふうはつしているから、面白がって前の方へ出て聞いていると、あなたを一つかけて上げましょうと云われたので、そうそう退却し・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・そこは江戸川の西の土堤へ上り端のところであった。堤の桜わずか二三株ほど眼界に入っていた。 土耳古帽は堤畔の草に腰を下して休んだ。二合余も入りそうな瓢にスカリのかかっているのを傍に置き、袂から白い巾に包んだ赤楽の馬上杯を取出し、一度拭って・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・果して、弟は小間物屋の二階座敷におげんと差向いで、養生園というところへ行ってきたことを言い出した。江戸川の終点まで電車で乗って行くだけでもなかなか遠かったと話した。「それは御苦労さま。ゆうべもお前は遅くまで起きて俺の側に附いていてくれた・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 先生最後の大患のときは、自分もちょうど同じような病気にかかって弱っていた。江戸川畔の花屋でベコニアの鉢を求めてお見舞いに行ったときは、もう面会を許されなかった。奥さんがその花を持って病室へ行ったら一言「きれいだな」と言われたそうである・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・あの時に江戸川の大曲の花屋へ寄って求めたのがやはりベコニアであった。紙で包んだ花鉢をだいじにぶら下げて車にも乗らず早稲田まで持って行った。あのころからもうだいぶ悪くなっていた自分の胃はその日は特に固く突っ張るようで苦しかった。あとから考えて・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・ わたくしは近年市街と化した多摩川沿岸、また荒川沿岸の光景から推察して、江戸川東岸の郊外も、大方樹木は乱伐せられ、草は踏みにじられ、田や畠も兵器の製造場になったものとばかり思込んでいたのであるが、来て見ると、まだそれほどには荒らされてい・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・小石川の高台はその源を関口の滝に発する江戸川に南側の麓を洗わせ、水道端から登る幾筋の急な坂によって次第次第に伝通院の方へと高くなっている。東の方は本郷と相対して富坂をひかえ、北は氷川の森を望んで極楽水へと下って行き、西は丘陵の延長が鐘の音で・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・乗合自動車は境川の停留場から葛西橋をわたって、一方は江戸川堤、一方は浦安の方へ往復するようになった。そして車の中には桜と汐干狩の時節には、弁当付往復賃銭の割引広告が貼り出される。 * 放水路の眺望が限りもなくわ・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・往時隅田川の沿岸に柳と蘆との多く繁茂していたことは今日の江戸川や中川と異る所がなかった。啻に河岸のみならず灌田のために穿った溝渠の中、または人家の園池にも蒹葭は萋々と繁茂していた。蜀山人が作にも金竜山下起二金波一 〔金竜山下に金波・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ 或るレクラム版の翻訳の金が入ったところで、彼等はそれから江戸川べりの鳥屋へ行った。十四ばかりの愛くるしい娘がいた。尾世川がいくら訊いても笑って本名を教えない。尾世川は勝手に鳥ちゃん、鳥ちゃんとその娘を呼んだ。 三・・・ 宮本百合子 「帆」
出典:青空文庫