・・・が、彼等の菩提を弔っている兵衛の心を酌む事なぞは、二人とも全然忘却していた。 平太郎の命日は、一日毎に近づいて来た。二人は妬刃を合せながら、心静にその日を待った。今はもう敵打は、成否の問題ではなくなっていた。すべての懸案はただその日、た・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・水を汲む。薪を割る。飯を炊く。拭き掃除をする。おまけに医者が外へ出る時は、薬箱を背負って伴をする。――その上給金は一文でも、くれと云った事がないのですから、このくらい重宝な奉公人は、日本中探してもありますまい。 が、とうとう二十年たつと・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・ ……ここに、信也氏のために、きつけの水を汲むべく、屋根の雪の天水桶を志して、環海ビルジングを上りつつある、つぶし餡のお妻が、さてもその後、黄粉か、胡麻か、いろが出来て、日光へ駆落ちした。およそ、獅子大じんに牡丹餅をくわせた姉さんなるも・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・そりゃ、しゃくるぞ、水汲むぞ、べっかっこだ。小児等の糸を引いて駈るがままに、ふらふらと舞台を飛廻り、やがて、樹根にどうとなりて、切なき呼吸つく。暮色到る。小児三 凧は切れちゃった。小児一 暗くなった。――ちょうど可い・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・が、まだいくらほどの時も経たぬと見えて、人の来て汲むものも、菜を洗うものもなかったのである。 ほかほかとおなじ日向に、藤豆の花が目を円く渠を見た。……あの草履を嬲ったのが羨しい……赤蜻蛉が笑っている。「見せようか。」 仰向けに、・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ しかし、尽せぬ滋味を汲むことには、絵も文章もかわりがないのです。むしろ、文章の方が、より多く想像を要するだけ、惹きつける力も、より深い場合があるといえます。 たとえば、レマルクの、「その後に来るもの」の中にも、ところ/″\、一幅の・・・ 小川未明 「読むうちに思ったこと」
・・・きょうは青空よい天気まえの家でも隣でも水汲む洗う掛ける干す。 国定教科書にあったのか小学唱歌にあったのか、少年の時に歌った歌の文句が憶い出された。その言葉には何のたくみも感ぜられなかったけれど、彼が少年だった・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・とお源は水を汲む手を一寸と休めて振り向いた。「井戸辺に出ていたのを、女中が屋後に干物に往ったぽっちりの間に盗られたのだとサ。矢張木戸が少しばかし開いていたのだとサ」「まア、真実に油断がならないね。大丈夫私は気を附けるが、お徳さんも盗・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・槽を使う(諸味を醤油袋に入れて搾り槽時に諸味を汲む桃桶を持って来いと云われて見当違いな溜桶をさげて来て皆なに笑われたりした。馴れない仕事のために、肩や腰が痛んだり、手足が棒のようになったりした。始終、耳がじいんと鳴り、頭が変にもや/\した。・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・初めのうち、清三は夏休み中、池の水を汲むのを手伝ったり、畑へ小豆の莢を摘みに行ったりした。しかし、学年が進んで、次第に都会人らしく、垢ぬけがして、親の眼にも何だか品が出来たように思われだすと、おしかは、野良仕事をさすのが勿体ないような気がし・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
出典:青空文庫