・・・前に夕顔棚ありて下に酒酌む自転車乗りの一隊、見るから殺風景なり。その前は一面の秋草原。芒の蓬々たるあれば萩の道に溢れんとする、さては芙蓉の白き紅なる、紫苑、女郎花、藤袴、釣鐘花、虎の尾、鶏頭、鳳仙花、水引の花さま/″\に咲き乱れて、径その間・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・ビーカーに水を汲むのでも、マッチ一本するのでも、一見つまらぬようなことも自分でやって、そしてそういうことにまでも観察力判断力を働かすのでなければ効能は少ない。使用する器械が精巧なほど使用の注意も複雑になるから、不注意に機械的申訳的にやるので・・・ 寺田寅彦 「物理学実験の教授について」
・・・雪ちゃんもこの色の蒼白いそして脊のすらりとしたところは主婦に似ていて、朝手水の水を汲むとて井戸縄にすがる細い腕を見ると何だかいたいたしくも思われ、また散歩に出掛ける途中、御使いから帰って来るのに会う時御辞儀をして自分を見て微笑する顔の淋しさ・・・ 寺田寅彦 「雪ちゃん」
・・・少し逆もどりして別の巻「溝汲むかざの隣いぶせき」の五句のごときも、事によると一種の土臭いにおいを中心として凝集した観念群を想像させる。 岱水について調べてみる。五十句拾った中で食物飲料関係のものが十一句、すなわち全体の二十二プロセントを・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・あらすべきとて、貧き中にもおもひわづらはるるあまり、からうじて井ほらせけるにいときよき水あふれ出づ、さくもてくみとらるべきばかりおほうあるぞいとうれしき、いつばかりなりけむ□「しほならであさなゆふなに汲む水もからき世なりとぬらす袖かな」と、・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・水を汲む女に聞けば旅亭三軒ありといわるるに喜びて一つの旅亭をおとずれて一夜の宿を乞うにこよいはお宿叶わずという。次の旅亭に行けば旅人多くして今一人をだに入るる余地なしという。力なくなく次の旅店に至れば行燈に木賃と書きたる筆の跡さえ肉痩せて頼・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・その階級の差別は極めてやかましく、たとえば、草ぶき小舎にすんでいるヒンドゥースの娘スンダーリは、自分の飲む水を、上の階級ブラマンのものたちが水を汲む泉から決して汲んではいけない。泉に近づいただけでもののしられ、なぐられる。小さい黒い男の子ウ・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ 梶は、日本人の今日の常識にとってさえその真意を汲むに困難な独特日本の義理人情によって知性を否定する怪々な論を、フランス人に向ってくりかえしたのであった。なまじい梶の説明をきいたばかりに、一層フランス人の心で日本が分らなくなり、かくの如・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・さて潮を汲む場所に降り立ったが、これも汐の汲みようを知らない。心で心を励まして、ようよう杓をおろすや否や、波が杓を取って行った。 隣で汲んでいる女子が、手早く杓を拾って戻した。そしてこう言った。「汐はそれでは汲まれません。どれ汲みようを・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫