・・・にぎりずしの盛合せ。海老サラダ。イチゴミルク。 その上、キントンを所望とは。まさか女は誰でも、こんなに食うまい。いや、それとも?行進 キヌ子のアパートは、世田谷方面にあって、朝はれいの、かつぎの商売に出るので、午後二時・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・甚だしきに到っては、ビイルを二本くらい持参して、まずそれを飲み、とても足りっこ無いんだから、主人のほうから何か飲み物を釣り出すという所謂、海老鯛式の作法さえ時たま行われているのである。 とにかく私にとって、そのような優雅な礼儀正しい酒客・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・ いつか新橋のおでんやで、若い男が、海老の鬼がら焼きを、箸で器用に剥いて、おかみに褒められ、てれるどころかいよいよ澄まして、またもや一つ、つるりとむいたが、実にみっともなかった。非常に馬鹿に見えた。手で剥いたって、いいじゃないか。ロシヤ・・・ 太宰治 「食通」
・・・わるくないね。海老のつくだ煮じゃないか。よく手にはいったね。」「しなびてしまって。」家の者には自信が無い。「しなびてしまっても海老は海老だ。僕の大好物なんだ。海老の髭には、カルシウムが含まれているんだ。」出鱈目である。 食卓には・・・ 太宰治 「新郎」
・・・数枝は、つくだ煮だったね。海老のつくだ煮買って来てあげる。」 出て行くさちよを見送り、数枝は、ガスの栓をひねって、ごはんの鍋をのせ、ふたたび蒲団の中にもぐり込んだ。 そうして、その日から、さちよの寄棲生活がはじまった。年の瀬、お正月・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・折紙細工に長じ、炬燵の中にて、弟子たちの習う琴の音を聴き正しつつ、鼠、雉、蟹、法師、海老など、むずかしき形をこっそり紙折って作り、それがまた不思議なほどに実体によく似ていた。また、弘化二年、三十四歳の晩春、毛筆の帽被を割りたる破片を机上に精・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・鰻釣りや小海老釣りでも同様であった。亀さんは鳥や魚の世界の秘密をすっかり心得ているように見えた。学校ではわりに成績のよかった自分が、学校ではいつもびりに近かった亀さんを尊敬しない訳には行かなかった。学校で習うことは、誰でも習いさえすれば覺え・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・を宣言させ、そうして狂喜した被告が被告席から海老のようにはね出して、突然の法廷侵入者田代公吉と海老のようにダンスを踊らせさえすれば、それでこの「与太者ユーモレスク、四幕、十一景」の目的の全部が完全に遂げられる訳である。 とにかくなかなか・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・「いつでもまるで海老をうでたように眼の中まで真赤になっていた」という母の思い出話をよく聞かされた。もっとも虫捕りに涼しいのもあった。朝まだ暗いうちに旧城の青苔滑らかな石垣によじ上って鈴虫の鳴いている穴を捜し、火吹竹で静かにその穴を吹いている・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・先生が海苔巻にはしをつけると自分も海苔巻を食う。先生が卵を食うと自分も卵を取り上げる。先生が海老を残したら、自分も海老を残したのだそうである。先生の死後に出て来たノートの中に「Tのすしの食い方」と覚え書きのしてあったのは、この時のことらしい・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
出典:青空文庫