みなもとのよりいえ【源頼家】
[1182〜1204]鎌倉幕府第2代将軍。頼朝の長男。母は北条政子。父の死後家督を継ぎ、征夷大将軍となった。北条氏の合議制による将軍権能の制限を嫌い、これを討とうとしたが失敗、伊豆の修禅寺に幽閉されて殺された。
みなもとのよりとも【源頼朝】
[1147〜1199]鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱後、伊豆に流されたが、以仁王 (もちひとおう) の平氏討伐の令旨を受けて挙兵。鎌倉を本拠に関東に勢力を伸ばし、弟範頼・義経を西上させて義仲を討ち、次いで一ノ谷・壇ノ浦などの戦いで平氏を全滅させた。のち、義経追討を名目に守護・地頭設置の許可を得て武家政権の基礎を確立。建久3年(1192)征夷大将軍に任ぜられた。
みなもとのよりのぶ【源頼信】
[968〜1048]平安中期の武将。満仲の三男。鎮守府将軍。藤原道長に仕え、平忠常の乱を戦わずして鎮めて武名をあげた。
みなもとのよりまさ【源頼政】
[1104〜1180]平安末期の武将。通称、源三位 (げんさんみ) 入道。白河法皇・後白河天皇に仕え、保元・平治の乱に功をあげた。のち、以仁王 (もちひとおう) と平氏追討を企てたが、事前に発覚して宇治平等院で自殺。和歌に長じ、家集に「源三位頼政卿集」がある。
みなもとのよりみつ【源頼光】
[948〜1021]平安中期の武将。満仲の長男。摂関家藤原氏と結び、左馬権頭となった。弓術にすぐれ、大江山の酒呑童子 (しゅてんどうじ) 退治の伝説で知られる。
みなもとのよりよし【源頼義】
[988〜1075]平安中期の武将。頼信の長男。平忠常の乱で父に従って戦功をあげ、前九年の役では鎮守府将軍として安倍氏を討ち、東国における源氏の勢力を強めた。
みなもとのいえながにっき【源家長日記】
源家長による日記。新古今和歌集選定作業の様子や当時の歌人たちの動静が仮名文で記されている。家長日記。
みなもとのしたごうしゅう【源順集】
源順の家集。三十六人集の一つ。成立年は不詳だが、平安時代中期か後期と見られる。順集。