・・・水は幽かに濁りながら、点々と、薄よごれた花びらを浮かべ、音も無く滑り流れている。私は、流れてゆく桜の花びらを、いつのまにか、追いかけているのだ。ばかのように、せっせと歩きつづけているのだ。その一群の花弁は、のろくなったり、早くなったり、けれ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・するする滑り、泳いでいる。川の岸に並び立っている倉庫は、つぎつぎに私を見送り、やがて遠のく。黒く濡れた防波堤が現われる。その尖端に、白い燈台が立っている。もはや、河口である。これから、すぐ日本海に出るのだ。ゆらりと一揺れ大きく船がよろめいた・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ Kは、湯槽にからだを、滑りこませて、「紅葉って、派手な花なのね。」「ゆうべは、――」私が言い澱むと、「ねむれた?」無心にたずねるKの眼は、湖水のように澄んでいる。 私は、ざぶんと湯槽に飛び込み、「Kが生きているうち、僕・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・頭に戴ける金冠の、美しき髪を滑りてか、からりと馬の鼻を掠めて砕くるばかりに石の上に落つる。 槍の穂先に冠をかけて、窓近く差し出したる時、ランスロットとギニヴィアの視線がはたと行き合う。「忌まわしき冠よ」と女は受けとりながらいう。「さらば・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・犬はやっぱりそんな崖でも負けないというようにたびたび滑りそうになりながら雪にかじりついて登ったのだ。やっと崖を登りきったらそこはまばらに栗の木の生えたごくゆるい斜面の平らで雪はまるで寒水石という風にギラギラ光っていたしまわりをずうっと高い雪・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・ 何をしても要領を得ない様な、飄箪□□(なので、とげとげしたものの間を滑りまわるには却って捕えどころがなくて無事であった。 お金が口を酸くして、勝手な熱を吹いて居る間に恭二はいつの間にか隣りの部屋に行ってしまって居た。それに気のつい・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 例えば正月号の『ウーマンカレント』のカレントなども、新聞の寸評的効果を与えようとした点広く社会問題をとりあげている点面白いが、私には、問題の表面を滑りすぎた評言が与えられているところ物足りなかった。学生の思想取締問題など、男性の社会の・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
・・・ 美くしい絵や、花床や、珠飾りを見ながら、心の中にいつの間にか滑りこんで来る仙女や、木魂や、虫達を相手に、果もない空想に耽っていた、あのときの夢のような心持。 自分がものを覚えるようになった日から続いていた幻の王国の領地で、或るとき・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・橇の滑り木が鳴る。鐘は気味悪く鳴りつづけている。この夜の地方の町らしい描写を、ゴーリキイは実感をもって記憶に呼びおこしている。主人が戸外へ出ようとすると、主婦がこわがって、「貴方行かないで! ね、行かないで……」とすがりつく。男連は・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・そんな時、金剛石のような光りの尾を引いた流星達は、窓の外まで突ぬけそうな勢で、垂幕の端から端へと滑りました。 けれども誰一人これを知っている者はありませんでした。お婆さんが糸を巻くのは、もう風見のさえ、羽交に首を突こんで一本脚で立ったま・・・ 宮本百合子 「ようか月の晩」
出典:青空文庫