・・・もとより開墾の初期に草分けとしてはいった数人の人は、今は一人も残ってはいませんが、その後毎年はいってくれた人々は、草分けの人々のあとを嗣いで、ついにこの土地の無料付与を道庁から許可されるまでの成績を挙げてくれられたのです。 この土地の開・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・第一、順と見えて、六十を越えたろう、白髪のお媼さんが下足を預るのに、二人分に、洋杖と蝙蝠傘を添えて、これが無料で、蝦蟇口を捻った一樹の心づけに、手も触れない。 この世話方の、おん袴に対しても、――――軽少過ぎる。卓子を並べて、謡本少々と・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・男は、今宮へ行けば市営の無料宿泊所もあるが、しかし、人間そんな所の厄介になるようではもうしまいだと言いながら、その小屋に泊めてくれました。 翌朝、男は近くの米屋から四合十銭の米と、八百屋から五銭の青豌豆を買ってきて、豌豆飯を炊いて、食べ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・俥夫三年の間にちびちび溜めて来たというものの、もとより小資本で、発行部数も僅か三百、初号から三号までは、無料で配り、四号目には、もう印刷屋への払いが出来なかった。のみならず、いかに門前の俥夫だったとはいえ、殆んど無学文盲の丹造の独力では、記・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・駅の東出口の前で焚火をしているので、せめてそれに当りながら夜を明かそうと寄って行くと、無料ではあたらせない、一時間五円、朝までなら十五円だという。冗談に言っているかと思って、金を出さずにいると、こっちはこれが商売なんだ、無料で当らせては明日・・・ 織田作之助 「世相」
・・・種吉がかねがね駕籠かき人足に雇われていた葬儀屋で、身内のものだとて無料で葬儀万端を引き受けてくれて、かなり盛大に葬式が出来た。おまけにお辰がいつの間にはいっていたのか、こっそり郵便局の簡易養老保険に一円掛けではいっていたので五百円の保険料が・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 大学在学中に、学生のために無料診察を引受けていたいわゆる校医にK氏が居た。いたずら好きの学生達は彼に「杏仁水」という渾名を奉っていた。理由は簡単なことで、いかなる病気にでもその処方に杏仁水の零点幾グラムかが加えられるというだけである。・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・階には時々各種の美術展覧会が催される、今の美術界の趨勢は帝展や院展を見なくてもいくぶんはここだけでもうかがわれる、のみならずそういう大きな展覧会に出ない人たちの作品まで見られる便利がある、そして入場は無料である。 ここではまたいろいろの・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・ソヴェト同盟には工場図書館、スポーツ・サークルが発達していて、大体無料でいろいろのことができるが、食物、衣服はまだ無料とはゆかない。若い男や女の勤労者が、真に健康に、立派に階級の前衛として育つために、ソヴェト同盟では、男女青年労働者の待遇の・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・СССРでは昔からどんな田舎の駅でも列車の着く時間には熱湯を仕度してそれを無料で旅人に支給する習慣だ。だからしばしば見るだろう。汽車が止るとニッケル・やかんやブリキ・やかんや時には湯呑一つ持ってプラットフォームを何処へか駈けてゆく多勢の男を・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
出典:青空文庫