・・・の一郎が妻の心の本体をわがものとして知りたいと焦慮する苦しみは、見栄も外聞も失った恐ろしい感情の真摯さで現われていると思う。「女は腕力に訴える男より遙に残酷なものだよ」「どんな人の所へ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪になるのだ」という・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」
・・・ 一家の中で、他の誰も同様の熱心を示して呉れず、二人きりで焦慮し、新らしい生活の準備をしようとする心持は、何と云ったらよかろう。お祭りのように所謂お嫁に行った者は、一生経っても、此我等二人、と云う、深い淋しい身の緊る感銘は受け得ないだろ・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・而もその焦慮はみたされなかった若者たちが、ヨーロッパ大戦後急激に高まった階級闘争の波にどんな勢でまきこまれて行ったか。其らの経緯をも語っている点で、深い社会的興味をよび起すものなのである。 又、この一篇の自伝的小説をよむものは、日本の解・・・ 宮本百合子 「『地上に待つもの』に寄せて」
・・・ この事実は、芸術家の大きい魂の真実にふれている、常に自己を超えようとする本能的な焦慮 ○限界の突破 そして、このことは平安を彼から奪うことを予約している。しかも 彼が芸術家であれば◎芸術家は完成と静けさにお・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・ 日本画家たちの日常生活をも、つき動かしている社会的な不安を、これらの人々は現実の自身達の生活からは既にとび去っている日本画の美の伝統の範囲内で解決しようと不可能な焦慮をしている。その解決のない矛盾と焦慮とを平面的で濃厚な色彩で辛くも塗・・・ 宮本百合子 「帝展を観ての感想」
・・・によって我ものにしようと甲斐なくも焦慮する作品のこくが、正に階級的実践のきびしい鍛錬をとおして、同志小林の作品に現れはじめたのであった。 主題の把握から見ても「地区の人々」は「戦争と革命との新たな周期」である刻下の情勢とプロレタリアート・・・ 宮本百合子 「同志小林の業績の評価によせて」
・・・順序や語源や、比喩の釣合いに絶えず制御されていた分析的な考え方等は、バルザックが生きて、愛し、苦しんで、金銭のために焦慮しつづけた十九世紀前半の社会生活の現実の中に既に跡かたもないものである。サロンの代りにイギリス流のクラブが出来ている。花・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・巣鴨にいた重吉は、ひろ子が一人で無理な生活の形を保とうと焦慮していることに賛成していなかった。弟の行雄の一家と一緒に暮すがよいという考えであった。けれども、ひろ子は、抵抗する心もちなしにそういう生活に移れなかった。二十年も別に暮して来た旧い・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・そして、いよいよ少しはものになりかけ、自覚、良心が芽生えて来ると、私と彼女との芸術観の深さ、直接性に著しい差が生じ、自分が進ませた道であるが故に、彼女は一層失望や焦慮を感じ、私は、絶えず、自己の内的生活、制作に、有形無形の掣肘を加えられると・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・天皇という偶然の地位に生れ合わせた一個の人間を不幸にするシステムであり、しかもその人をその特殊地位に封鎖して、その人にその身の不幸を自覚させず、人間ばなれした日常から脱出しようと焦慮することさえ知らせない一つのシステムであった。知らしむべか・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
出典:青空文庫