・・・ その時、奥の方で、ハッパが連続的に爆発する物凄い音響が轟いた。砕かれた岩が、ついそこらへまで飛んで来るけはいがした。押し出される空気が、サッと速力のある風になって流れ出た。つゞいて、煙硝くさい、煙のたまが、渦を捲いて濛々と湧き出て来た・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・時には、自分の身体にまで上って来るような物凄い恐怖に襲われて、眼が覚めることが有った。深夜に、高瀬は妻を呼起して、二人で台所をゴトゴト言わせて、捕鼠器を仕掛けた。 その年の夏から秋へかけて、塾に取っては種々な不慮の出来事があった。広・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・灰色の天地に灰色の心で、冷たい、物凄い、荒んだ生を送って行くのが人生の本旨かとも思って見る。けれども今日までの私はまだどうもそれだけの思いきりもつかぬ。一方には赤い血の色や青い空の色も欲しいという気持が滅しない。幾ら知識を駆使して見てもこの・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ 奇妙な事には、この女はあれほど私の詩の仲間を糞味噌に悪く言い、殊にも仲間で一番若い浅草のペラゴロの詩人、といってもまだ詩集の一つも出していないほんの少年でしたが、そいつに対する彼女の蔭の嘲罵は、最も物凄いものでございまして、そうして何の事・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・除などは、女の局員がする事になっていたのですが、その円貨切り換えの大騒ぎがはじまって以来、私の働き振りに異様なハズミがついて、何でもかでも滅茶苦茶に働きたくなって、きのうよりは今日、きょうよりは明日と物凄い加速度を以て、ほとんど半狂乱みたい・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・ところで、こいつは誰だったっけ。物凄いぶおとこだなあ。思い出した。うちの社へ、原稿を持ち込んで来た文学青年だ。つまらん奴と逢ったなあ。酔っていやがる。僕にたかる気かも知れない。よそよそしくしてやろう。「ええっと、どなたでしたっけ。失礼で・・・ 太宰治 「渡り鳥」
・・・夕映えの色も常に異なった暗黄色を帯びて物凄いと思う間に、それも消えて、暮れかかる濃鼠の空を、ちぎれちぎれの綿雲は悪夢のように果てもなく沖から襲うて来る。沖の奥は真暗で、漁火一つ見えぬ。湿りを帯びた大きな星が、見え隠れ雲の隙を瞬く。いつもなら・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・何となく物凄い感じのするものである。昔西洋の雑誌小説で蛾のお化けの出るのを読んだことがあるが、この眼玉の光には実際多少の妖怪味と云ったようなものを帯びている。つまり、何となく非現実的な色と光があるのである。これは多分複眼の多数のレンズの作用・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・ ある日曜日の朝顕著な不連続線が東京附近を通過していると見えて、生温かい狂風が軒を揺がし、大粒の雨が断続して物凄い天候であった。昼前に銀座まで出掛けたら諸所の店前の立看板などが吹き飛ばされ、傘を折られて困っている人も少なくなかった。日本・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・白鳥の影は波に沈んで、岸高く峙てる楼閣の黒く水に映るのが物凄い。水門は左右に開けて、石階の上にはアーサーとギニヴィアを前に、城中の男女が悉く集まる。 エレーンの屍は凡ての屍のうちにて最も美しい。涼しき顔を、雲と乱るる黄金の髪に埋めて、笑・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫