・・・中で、私のことにもふれられ「獄中の人と結婚せられた心理はわかるようで不可能である。ああいうことはオクソクの他であるが、私は無意味であると思っている」と結論しておられる。 私はその文章をよんで、女同士の共感というものも歴史性の相異によって・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・治安維持法に抵抗しつつ、その悪法について正面から発言できるものは、当時の日本の民衆の間にはおそらくいなかったのであるまいか。獄中で、非転向で、生命を賭してたたかっていた人々のほかには。 したがって、ジャーナリズムにあらわれる程度の転向に・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・以来十二年間宮本の獄中生活がつづいた。一月十五日には私も検挙された。その切迫した数日のうちに、苦しい涙が凝りかたまって一粒おちたという風にこの短篇をかいた。そして『新潮』に発表した。「鏡餅」はこんどはじめてこの本に集録された。一九三〇年の暮・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第四巻)」
・・・ 彼の最も清浄な、涙組むまで美くしい心のあふれ出た「獄中記」の中で、「基督は、何者にもまして個人主義者の最高の位置を占むべき人である」と云うて居る。 真の箇人主義は斯くあるべきではないか。 私の云う霊を失った哀れなる亡霊の多・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・今日の現実は、風流なすさびと思われていた三十一文字を突破して、生きようと欲する大衆の声を工場から、農村から、工事場・会社・役所から、獄中からまで伝えて来ている。その点で、この二百頁に満たぬ一冊の歌集がきょうの日本の歌壇に全く新しい価値をもっ・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
・・・ 同じ三・一五の被告であった徳田球一、志賀義雄などの人々が、永い獄中生活にもかかわらず、一九四五年十月に解放されてからすぐ共産党の合法的活動に着手したことを思いあわせると、私たちは同じ共産党員といわれる人々の中に、非常な大きい差別がある・・・ 宮本百合子 「共産党とモラル」
・・・ 一九三二年窪川さんが獄中生活にうつるまで稲子さん一家は下十條にいて、私はよくそこを訪ね、次第に作家同盟の仕事や、『働く婦人』という雑誌の編輯の仕事やらで、会わずにいられないようになった。 その時分でも、私は十分稲子さんがわかってい・・・ 宮本百合子 「窪川稲子のこと」
・・・ この悪法が撤廃され、獄中の人々が解放された時、日本は一種の昂奮した状態におかれた。悪法犠牲者が、そのとき英雄と見られた。まして、もう少しで自由になれるとき、獄死した共産主義者たちに対して、尽しきれない遺憾が表明された。それは、自然で、・・・ 宮本百合子 「行為の価値」
・・・ 度々の獄中生活で、その女は二十八という年よりずっと干からびた体であった。骨だった肩にちっとも似合わない白っぽいお召を着て、しみじみ自分の手の甲をさすりながら、「正直なところ、ああいうところへ入れられると赤くならずにいられやしません・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・中共勝利とともに国内に流布した中共関係の文書の中には、かつて特務機関として奥地の情報を集めていた文書があり、獄中で検事局からの諮問に答えて上申した文書がある。それらは、侵略国日本が中国人民と中共からかすめとった収奪物でなくて何だろう。注意ぶ・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
出典:青空文庫