・・・ この術は決して新しいものではなくて、古い古い昔から、時には偉大なる王者や聖賢により、時にはさらにより多く奸臣の扇動者によって利用されて来たものである。前者の場合には世道人心を善導し、後者の場合には惨禍と擾乱を巻き起こした例がはなはだ多・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・あたかも明治の初年日本の人々が皆感激の高調に上って、解脱又解脱、狂気のごとく自己を擲ったごとく、我々の世界もいつか王者その冠を投出し、富豪その金庫を投出し、戦士その剣を投出し、智愚強弱一切の差別を忘れて、青天白日の下に抱擁握手抃舞する刹那は・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・「罪あるを罰するは王者の事か」「問わずもあれ」と答えたアーサーは今更という面持である。「罪あるは高きをも辞せざるか」とモードレッドは再び王に向って問う。 アーサーは我とわが胸を敲いて「黄金の冠は邪の頭に戴かず。天子の衣は悪を隠さ・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ また試みに見よ、今の西洋諸国は果して至文至明の徳化にあまねくして、その人民は皇々如として王者の民の如くなるか。我が人民の智力学芸に欠点あるも、よくこれを容れてその釁に切込むことなく、永く対立の交際をなして、これに甘んずる者か。余輩断じ・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ナポレオンと同じコルシカ島のアジャチオ生れのこの敏腕な香水屋が、世界の香水界を支配する実業界の王者となったとき、彼は香水の瓶の形を工夫していることだけには満足しなくなって権力をいじりたくなった。新聞を買収してレオン・ドーデと似たようなことを・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・ スースー……スースー…… 王者になったような心持でいる六をのせて、綱はだんだん山奥へ入って行った。 景色は次第次第に珍しく、不思議になって来る…… 周囲はますます静かにひそやかになって来る…… 六は急に飛びたくなった。・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・フランスの社会は、「新たに世界の王者となった」金銭をめぐって煮え立ち、金持は無趣味で仰々しい厚顔の放埒に溺れ、金を持たぬものは、持たぬ金を更に失うことを恐れて、偽善的に「中庸」を守る俗人生活にくくりつけられた。オノレ・ド・バルザックはパリの・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・そうしてさらに一層まれに、すなわち数年の間に一度くらい、あの王者の威厳と聖人の香りをもってむっくりと落ち葉を持ち上げている松茸に、出逢うこともできたのである。 こういう茸狩りにおいて出逢う茸は、それぞれ品位と価値とを異にするように感じら・・・ 和辻哲郎 「茸狩り」
出典:青空文庫