用事があって、急に小豆島へ帰った。 小豆島と云えば、寒霞渓のあるところだ。秋になると都会の各地から遊覧客がやって来る。僕が帰った時もまだやって来ていた。 百姓は、稲を刈り、麦を蒔きながら、自動車をとばし、又は、ぞろ・・・ 黒島伝治 「小豆島」
・・・閑事と表記してあるのは、急を要する用事でも何んでも無いから、忙がしくなかったら披いて読め、他に心の惹かれる事でもあったら後廻しにしてよい、という注意である。ところがその閑事としてあったのが嬉しくて、他の郵書よりはまず第一にそれを手にして開読・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・ 雑役が用事の最後に、ニヤ/\笑いながら云った。「お前さん今度が初めてだね。これで一通りの道具はちゃアんと揃ってるもんだろう。これからこの室が長い間のお前さんのアパアトになるわけさ。だから、自分でキチン/\と綺麗にしておいた方がいゝ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・片隅へ身を寄せて、上り框のところへ手をつき乍ら、何か低い声で物を言出した時は、自分は直にその男の用事を看て取った。聞いて見ると越後の方から出て来たもので、都にある親戚をたよりに尋ねて行くという。はるばるの長旅、ここまでは辿り着いたが、途中で・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・佐吉さんは、超然として、べつにお祭の晴着を着るわけでなし、ふだん着のままで、店の用事をして居ましたが、やがて、来る若者、来る若者、すべて派手な大浪模様のお揃いの浴衣を着て、腰に団扇を差し、やはり揃いの手拭いを首に巻きつけ、やあ、おめでとうご・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ この二人は大抵極まった隅の卓に据わる。そしてコニャックを飲む。往来を眺める。格別物を考えはしない。 用事があってこの店へ来ることはない。金貸しには交際があるが、それはこの店を禁物にしていて近寄らない。さて文士連と何の触接点があるか・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ すなわちかれの快楽というのは電車の中の美しい姿と、美文新体詩を作ることで、社にいる間は、用事さえないと、原稿紙を延べて、一生懸命に美しい文を書いている。少女に関する感想の多いのはむろんのことだ。 その日は校正が多いので、先生一人そ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 回教徒が三十日もの間毎日十二時間の断食をして、そうして自分の用事などは放擲して礼拝三昧の陶酔的生活をする。こういう生活は少なくとも大多数の日本の都人士には到底了解のできない不思議な生活である。 ベナレスの聖地で難行苦行を生涯の唯一・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・「それから私もちょっと用事ができて、きゅうにいったんかえることになりましたので」道太は話しだした。「どうもありがとう。わしはまあこれで心配はないから」兄はそう言って、道太が思ったよりさっぱりしていた。 道太はやっと安心して、病室・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 争議以前から、組合の用事だと云えば、何かにつけて飛んで行った利助である。利平の云うままになって、会社へ送り込まれるということからして、今から考えれば、少し変には変だったのだ。「コレじゃ、まるで、親も子も、義理も人情もあったもんじゃ・・・ 徳永直 「眼」
出典:青空文庫