四十年ほど昔の話である。郷里の田舎に亀さんという十歳ぐらいの男の子があった。それが生まれてはじめて芝居というものを見せられたあとで、だれかからその演劇の第一印象をきかれた時に亀さんはこう答えた。「妙なばんばが出て来て、妙な・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・桂三郎と妻の雪江との間には、次ぎ次ぎに二人の立派な男の子さえ産まれていた。そして兄たち夫婦の撫育のもとに、五つと三つになっていた。兄たち夫婦は、その孫たちの愛と、若夫婦のために、くっくと働いているようなものであった。 もちろん老夫婦と若・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・きょうだいが沢山あって、男の子では私が一ばん上だった。 こんにゃくは町のこんにゃく屋へいって、私がになえるくらい、いつも五十くらい借りてきた。こんにゃくはこんにゃく芋を擦りつぶして、一度煮てからいろんな形に切り、それを水に一ト晩さらしと・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・傍に七つばかりの男の子を連れた若い女が立って烏を眺めている。希臘風の鼻と、珠を溶いたようにうるわしい目と、真白な頸筋を形づくる曲線のうねりとが少からず余の心を動かした。小供は女を見上げて「鴉が、鴉が」と珍らしそうに云う。それから「鴉が寒むそ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・左れば子に対して親の教を忽にす可らずとは尤至極の沙汰にして、左もある可きことなれども女子に限りて男子よりも云々とは請取り難し。男の子なれば之を寵愛して恣に育てるも苦しからずや。養家に行きて気随気儘に身を持崩し妻に疏まれ、又は由なき事に舅を恨・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 木のいちばんいちばん高いところにいたふたりのいちょうの男の子がいいました。「そら、もう明るくなったぞ。うれしいなあ。ぼくはきっと黄金色のお星さまになるんだよ。」「ぼくもなるよ。きっとここから落ちればすぐ北風が空へつれてってくれ・・・ 宮沢賢治 「いちょうの実」
・・・私が行ったとき、托児所の庭の青々と茂った夏の楡の樹の下にやや年かさの女が三つばかりの男の子を抱き、金髪の若々しい母親が白い服を着せた生れたばかりの赤児を抱いて、静かに談笑しながら休んでいた。話して見ると、何と愉快なことだろう。この二人の年齢・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・病人は十二三の男の子である。熱帯地方の子供かと思うように、ひどく日に焼けた膚の色が、白地の浴衣で引っ立って見える。筋肉の緊まった、細く固く出来た体だということが一目で知れる。 暫く見ていた花房は、駒下駄を脱ぎ棄てて、一足敷居の上に上がっ・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・心の臓も浄くなったので、いろんな事を思い出して、そして生れたと云うばかりで、男の子だか女の子だか知らない子を、どうかして見たいものだと思った。 浄火の中を巡って歩いて、何か押丁に対する不平があるなら言えという役人がある。ある時その役人に・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ 五 宿場の場庭へ、母親に手を曳かれた男の子が指を銜えて這入って来た。「お母ア、馬々。」「ああ、馬々。」男の子は母親から手を振り切ると、厩の方へ馳けて来た。そうして二間ほど離れた場庭の中から馬を見ながら、・・・ 横光利一 「蠅」
出典:青空文庫