・・・「近頃刻み煙草の配給しかないのは、専売局で盗難用の光やきんしを倉庫にストックして置かねばならぬからだ」と。 更に、べつの皮肉屋の言うのには、「七月一日から煙草が値上りになるのは、たびたびの盗難による専売局の赤字を埋めるためだ」と・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・彼はあり金をはたいて、盗難よけのベルの製造をはじめた。製品が出来たので、彼は注文を取って廻った。そして帰って見ると、製品の盗難よけベルはいつの間にか一つ残らず盗まれていた。 織田作之助 「ヒント」
・・・そうして、盗難は、――これは火事と較べて、同じ災禍でありながら、あまり宗教的ではない。宗教的どころか、徹頭徹尾、人為的である。けれども、これにも何か不思議がある。人為の極度にも、何かしら神意が舞い下るような気がしないか。エッフェル鉄塔が夜と・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ こういう認識不足の場合はいいが、認識錯誤の場合にはいろいろの難儀な結果が生じる。盗難や詐欺にかかった被害者の女師匠などが、加害者でもなんでもない赤の他人の立派なお役人を、どうでもそうだと言い張る場合などがそれである。 突発した事件・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・ 敢て私のみではない。盗難のあった其れ以来、崖下の庭、古井戸の附近は、父を除いて一家中の異懼恐怖の中心点になった。丁度、西南戦争の後程もなく、世の中は、謀反人だの、刺客だの、強盗だのと、殺伐残忍の話ばかり、少しく門構の大きい地位ある人の・・・ 永井荷風 「狐」
・・・「これは御親切に、どうも、――いえ別に何も盗難に罹った覚はないようです」「それなら宜しゅう御座います。毎晩犬が吠えておやかましいでしょう。どう云うものか賊がこの辺ばかり徘徊しますんで」「どうも御苦労様」と景気よく答えたのは遠吠が・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・且つ近来、学校中で盗難事件はさらになかった。 下痢かなんかだろう。 安岡はそう思って、眠りを求めたが眠りは深谷が連れて出でもしたように、その部屋の空気から消えてしまった。 おそらく、二時間、あるいは三時間もたってから深谷は、すき・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・不便な処へ、盗難は保証されない。その上、可成、田舎らしくない金をとる家は、しめる、曲るで病気にもなりかねない。住む人に見すてられたような住宅は、目黒、上大崎辺に随分在ったらしい。広告などに出るようなのは、大抵地名を見ただけでも興味を持てない・・・ 宮本百合子 「又、家」
出典:青空文庫