・・・先ずこんなわけで、いつの間にかポルジイは真面目にドリスに結婚を申し込んだと云う噂が伝えられた。 これはひどく人の耳目を聳動した。尤もこれに驚かされたのは、ストロオガツセなる伯爵キルヒネツゲル家の邸の人々である。 邸あたりでは、人生一・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・迫害者に対しては常に受動的であり、教えを乞う者にはどんな馬鹿な質問にでも真面目に親切に答えている。 智能の世界においての貴族である彼は社会の一員としては生粋のデモクラットである。国家というものは、彼にとってはそれ自身が目的でも何でもない・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・われらをして、まずこの神聖なる過去の霊場より、不体裁なる種々の記念碑、醜悪なる銅像等凡て新しき時代が建設したる劣等にして不真面目なる美術を駆逐し、そしてわれらをして永久に祖先の残した偉大なる芸術にのみ恍惚たらしめよ。自分は断言する。われらの・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・と髯あるは真面目にきく。「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹の糸、夜と昼との界なる夕暮の糸、恋の色、恨みの色は無論ありましょ」と女は眼をあげて床柱の方を見る。愁を溶いて錬り上げし珠の、烈しき火には堪えぬほどに涼しい・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・概して文化の程度が低く、原始民族のタブーと迷信に包まれているこの地方には、実際色々な伝説や口碑があり、今でもなお多数の人々は、真面目に信じているのである、現に私の宿の女中や、近所の村から湯治に来ている人たちは、一種の恐怖と嫌悪の感情とで、私・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ マルクスに依ると、風力が誰に属すべきであるか、という問題が、昔どこかの国で、学者たちに依って真面目に論議されたそうだ。私は、光線は誰に属すべきものかという問題の方が、監獄にあっては、現在でも適切な命題と考える。 小さな葉、可愛らし・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・と、西宮は小万の顔を真面目に見つめた。「おほほ――、妬けるんだよ」と、吉里は笑い出した。「ははははは。どうだい、僕の薬鑵から蒸気が発ッてやアしないか」「ああ、発ッてますよ。口惜しいねえ」と、吉里は西宮の腕を爪捻る。「あいた。・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 爺いさんは真面目に相手の顔を見返して、腰を屈めて近寄った。そして囁いた。「おれは盗んだのだ。何百万と云う貨物を盗んだ。おれはミリオネエルだ。そのくせかつえ死ななくてはならないのだ。」 一本腕は目を大きくみはった。そして大声を出して・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・実際の真面目を言えば、常に能く夜を守らずして内を外にし、動もすれば人を叱倒し人を虐待するが如き悪風は男子の方にこそ多けれども、其処を大目に看過して独り女子の不徳を咎むるは、所謂儒教主義の偏頗論と言う可きのみ。一 女子は稚時より男・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 小説に勧懲摸写の二あれど、云々の故に摸写こそ小説の真面目なれ。さるを今の作者の無智文盲とて古人の出放題に誤られ、痔持の療治をするように矢鱈無性に勧懲々々というは何事ぞと、近頃二三の学者先生切歯をしてもどかしがられたるは御尤千万とおぼゆ・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
出典:青空文庫