・・・塔の頂の洗いさらされた石材には貝がらの化石が一面についている。寺の歴史やパリの歴史もおもしろいが、この太古の貝がらの歴史も私にはおもしろい。屋根のトタンにも石にも一面に名前や日付が刻みつけてあります。塔をおりて扉をドンドンたたく。しばらく待・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・枕橋のほとりなる水戸家の林泉は焦土と化した後、一時土砂石材の置場になっていたが、今や日ならずして洋式の新公園となるべき形勢を示している。吾人は日比谷青山辺に見るが如き鉄鎖とセメントの新公園をここにもまた見るに至るのであろう。三囲の堤に架せら・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・仏蘭西の地層から切出した石材のヴェルサイユは火事と暴風と白蟻との災禍を恐るる必要なく、時間の無限中に今ある如く不朽に残されるであろう。けれども我が木造の霊廟は已にこの間も隣接する増上寺の焔に脅かされた。凡ての物を滅して行く恐しい「時間」の力・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・実際、長崎という市は、いつの時代にか到る処に賢く豊富な石材を利用したばかりで、すっかり風致に変化を生じた都会だと思う。木材を愛す日本人に比較し、その事業を完成したのは、所謂唐人達の手柄であろうか。長崎の市を、何等史的知識なく一巡した旅客の記・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・仏教美術がそこで作られたことももちろんであるが、木材や石材に乏しいこの地方において、漆喰と泥土とを使う塑像のやり方が特に歓迎せられたであろうことも、察するに難くない。とすれば、タリム盆地は、アフガニスタンに次いで塑像を発達させた場所であった・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫