・・・三の戸、金田一、福岡と来りしが、昨日は昼餉たべはぐりてくるしみければ今日はむすび二ツもらい来つ、いで食わんとするに臨み玉子うる家あり。価を問えば六厘と云う。三つばかり買いてなお進み行くに、路傍に清水いづるところあり。椀さえ添えたるに、こしか・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・そうして東京、横浜、沼津、静岡、浜松、名古屋、大阪、神戸、岡山、広島から福岡へんまで一度に襲われたら、その時はいったいわが日本の国はどういうことになるであろう。そういうことがないとは何人も保証できない。宝永安政の昔ならば各地の被害は各地それ・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・について高松高等商業学校の大泉行雄氏から書信で、九州福岡の原志兔太郎氏が灸の研究により学位を得られたと思うという知らせを受けた。右の原氏著「お灸療治」という小冊子に灸治の学理が通俗的に説明されているそうである。一見したいと思っているがまだそ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・たとえば安政元年の大震のような大規模のものが襲来すれば、東京から福岡に至るまでのあらゆる大小都市の重要な文化設備が一時に脅かされ、西半日本の神経系統と循環系統に相当ひどい故障が起こって有機体としての一国の生活機能に著しい麻痺症状を惹起する恐・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・仲間の小野は東京へ出奔したし、いま一人の津田は福岡のゴロ新聞社にころがりこんで、ちかごろは袴をはいて歩いているという噂であった。五高の連中も新人会支部のかぎりでは活動したが、組合のことには手をださなかった。ことに高坂や長野は、学生たちを子供・・・ 徳永直 「白い道」
・・・夜、青山の通を吉田、福岡両氏をたずね、多く屋根の落ちかかった家を見る。ひどい人通りで、街中 九日 英男、荷物を持って自転車で来る。夜豪雨。ヒナン民の心持を思い同情禁じ得ず。 A、浅草、藤沢をたずぬ、A、浅草にゆく。さいの弟の・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・臼杵から先、中津の自性寺を見、福岡の友でも訪ねるか、いずれにせよ、軽少の財嚢に準じて謙遜な望みしか抱いていなかった。臼杵の、日向灘を展望する奇麗な公園からK氏の別荘へぶらぶら帰る時であった。Y、「どうする? やはり中津へ廻る?」「――ふうむ・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
福岡日日新聞の主筆猪股為治君は予が親戚の郷人である。予が九州に来てから、主筆はわざわざ我旅寓を訪われたので、予は共に世事を談じ、また間まま文学の事に及んだこともあった。主筆は多く欧羅巴の文章を読んで居て、地方の新聞記者中に・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・筑前国では先ず大宰府天満宮に参詣して祈願を籠め、博多、福岡に二日いて、豊前国小倉から舟に乗って九州を離れた。 長門国下関に舟で渡ったのが十二月六日であった。雪は降って来る。九郎右衛門の足痛は次第に重るばかりである。とうとう宇平と文吉・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 暫く立つと、有竹氏の主家戸田淡路守氏養の隣邸、筑前国福岡の領主黒田家の当主松平筑前守治之の奥で、物馴れた女中を欲しがっていると云う噂が聞えた。笠原は人を頼んで、そこへるんを目見えに遣った。氏養と云うのは、六年前に氏之の跡を続いだ戸田家・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫