・・・続いて二人、五人、八人、――見る見る僕の目の下はのべつに桟橋へ飛び移る無数の支那人に埋まってしまった。と思うと船はいつの間にかもう赤煉瓦の西洋家屋や葉柳などの並んだ前にどっしりと横着けに聳えていた。 僕はやっと欄干を離れ、同じ「社」のB・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・丁度この話へ移る前に、上人が積荷の無花果を水夫に分けて貰って、「さまよえる猶太人」と一しょに、食ったと云う記事がある。前に季節の事に言及した時に引いたから、ここに書いて置くが、勿論大した意味がある訳ではない。――さて、その問答を見ると、大体・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・を書いて以来今日までにおいては、諸家の批判があったにかかわらず、他の見方に移ることができないでいる。私はこの心持ちを謙遜な心持ちだとも高慢な心持ちだとも思っていない。私にはどうしてもそうあらねばならぬ当然な心持ちにすぎないと思っている。・・・ 有島武郎 「想片」
・・・ただしこれに目標が出来たためか、背に根が生えたようになって、倒れている雪の丘の飛移るような思いはなくなりました。 まことは、両側にまだ家のありました頃は、――中に旅籠も交っています――一面識はなくっても、同じ汽車に乗った人たちが、疎にも・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 背後について、長襦袢するすると、伊達巻ばかりに羽織という、しどけない寝乱れ姿で、しかも湯上りの化粧の香が、月に脈うって、ぽっと霧へ移る。……と送って出しなの、肩を叩こうとして、のびた腰に、ポンと土間に反った新しい仕込みの鯔と、比目魚の・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・時の移るも知らずに興じつつ波に追われたり波を追ったりして、各小袋に蛤は満ちた。よろこび勇んで四人はとある漁船のかげに一休みしたのであるが、思わぬ空の変わりようにてにわかに雨となった。四人は蝙蝠傘二本をよすがに船底に小さくなってしばらく雨やど・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・これからどうしてもおとよの話に移る順序であれど、日影はいつしかえん側をかぎって、表の障子をがたぴちさせいっさんに奥へ二人の子供が飛びこんできた。「おばあさんただいま」「おばあさんただいま」 顔も手も墨だらけな、八つと七つとの重蔵・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・そこでしくじったら、また、もう少しかけ隔った別な店へ移るのだろう。はたから見ると、だんだん退却して行くありさまだ。吉弥の話したことによると、青木は、かれ自身が、「無学な上に年を取っているから、若いものに馬鹿にされたり、また、自分が一生懸・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・寺田は何か後味が悪く、やがて競馬が小倉に移ると、1の番号をもう一度追いたい気持にかられて九州へ発った。汽車の中で小倉の宿は満員らしいと聴いたので、別府の温泉宿に泊り、そこから毎朝一番の汽車で小倉通いをすることにした。夜、宿へつくとくたくたに・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・例えば、彼はそのアパートを移るという簡単なことの弾みが容易につかなかったらしい。そしてそれが何よりいけなかったのだ。そのアパートの不健康さについては前に述べたが、殊に彼の部屋ときてはお話にならぬくらいひどかった。 実際私は訪れるたびに呆・・・ 織田作之助 「道」
出典:青空文庫