・・・下手な剣劇の立ち回りがそれであろう。 エイゼンシュテインは、日本の文化のあらゆる諸要素がモンタージュ的であると論じ、日本の文字でさえも、口と犬とを合わせて吠えるというようにできあがっていると言い、また歌舞伎についても分解的演技の原理とい・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ また音響効果のほうでも、たとえば立ち回りの場で、すぐ眼前を通過する汽車の響きと、格闘者の群れが舗道の石をける靴音との合奏を聞かせたり、あるいはまた終巻でアルベールの愛の破綻と友情の危機を象徴するために、蓄音機の針をレコードの音溝の損所・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ けんかや立ち回りの場面も普通の映画では実に退屈に堪えないのが多いが、この映画のそうした場面は簡潔で要領がよくてかえってほんとうらしい。 林長二郎、岡田嘉子の二人も近ごろ見た他の映画における同じ二人とは見ちがえるように魂がはいってい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・恐ろしく美々しい衣装を着た役者がおおぜいではげしい立ち回りをやったり、甲高い悲しい声で歌ったりした。囃の楽器の音が耳の痛くなるほど騒がしかった。ふたをした茶わんに茶を入れて持って来た。熱湯で湿した顔ふきを持って来た。……少しセンチメンタルに・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫