・・・彼は、部下よりも、もっと精気に満ちた幸福を感じていた。背後の村には燃えさしの家が、ぷすぷす燻り、人を焼く、あの火葬場のような悪臭が、部隊を追っかけるようにどこまでも流れ拡がってついてきた。けれども、それも、大隊長の内心の幸福を妨げなかった。・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・俺だちは、だから此処で、出て行く迄に新しい精気と強い身体を作っておかなければならないのだ。 だが、さすがにこの赤色別荘は、一銭の費用もかゝらないし、喜楽的などころか、毎日々々が鉄の如き規律のもとに過ぎてゆくのだ――然し、それは如何にも俺・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ それを聞くと、お力は精気の溢れた顔を伏せて、眼のふちが紅くなるほど泣いた。 島崎藤村 「食堂」
・・・深山の巒気が立ちのぼるようだ。ランキのランは、言うという字に糸を二つに山だ。深山の精気といってもいいだろう。おどろくべきものだ。ううむ。」やたらに唸るのである。私は恥ずかしくてたまらない。「山椒魚がお気にいったとは意外です。どこが、そん・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・人生の冷酷な悪戯を、奇蹟の可能を、峻厳な復讐の実現を、深山の精気のように、きびしく肌に感じたのだ。しどろもどろになり、声まで嗄れて、「よく来たねえ。」まるで意味ないことを呟いた。絶えず訪問客になやまされている人の、これが、口癖になってい・・・ 太宰治 「花燭」
・・・この時分の山の木には精気が多くて炭をこさえるのに適しているから、炭を焼く人達も忙しいのである。 馬禿山には炭焼小屋が十いくつある。滝の傍にもひとつあった。此の小屋は他の小屋と余程はなれて建てられていた。小屋の人がちがう土地のものであった・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・あたかも沸き上がり燃え上がる大地の精気が空へ空へと集注して天上ワルハラの殿堂に流れ込んでいるような感じを与える。同じようではあるが「全線」の巻頭に現われるあの平野とその上を静かに流れる雲の影のシーンには、言い知らぬ荒涼の趣があり慰めのない憂・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 宗達の作品もいろいろであろうが、この作品のように清明で、精気こもった動的な美しさは、心から私たちをよろこばすものの一つだと思う。人間の艷、仕事の艷というものについて、宗達は、目から精神にそそぎ込む多くのものをもっているのである。 ・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・カールの快活で独特な精気にみちた人がらは、イエニーの父ヴェストファーレンに深く愛されたとともに、四つ年上のイエニーの心に年と共に幼な友達とはちがった感情を芽ぐませた。カールが十八歳、そしてイエニーが二十二歳の年、二人は婚約した。 カール・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・その作家の人生に通じるテーマを見いだしたとき、その作家の全存在を集中する精気のこった活動としてモティーヴがはっきり把えられ、労作がはじまるのであると思う。 世界観は、鋭く美しい活きた社会とその歴史にたいする眼として紹介されなかった。日本・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
出典:青空文庫