・・・「お母さんのように素人でも料理の解る方があるかと思うと、私も張合がある。今日はまあ休日で仕方がないとしても、明日は一つ腕を振いますかナ。久しぶりで何かうまいものをお母さんに御馳走しますかナ」 お三輪は椅子を離れて、木彫の扁額の掛けてある・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ほとんど素人下宿のような宿で、部屋も三つしかなかったし、内湯も無くて、すぐ隣りの大きい旅館にお湯をもらいに行くか、雨降ってるときには傘をさし、夜なら提燈かはだか蝋燭もって、したの谷川まで降りていって川原の小さい野天風呂にひたらなければならな・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ 古い板塀の上から、こぶしの白い花が覗いていた。素人下宿らしい。「くまもとう!」と少年は、二階の障子に向って叫んだ。「くまもと、くん。」と私も、いつしか学生になったつもりで、心易く大声で呼びたてた。 第四回・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・要するに素人画家のスケッチのようなものだと思って読んでもらいたいのである。二 アルベルト・アインシュタインは一八七九年三月の出生である。日本ならば明治十二年卯歳の生れで数え年四十三になる訳である。生れた場所は南ドイツでドナウ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・そこで自然と、物には専門家と素人の差別が生ずるのだと、珍々先生は自己の廃頽趣味に絶対の芸術的価値と威信とを附与して、聊か得意の感をなし、荒みきった生涯の、せめてもの慰藉にしようと試みるのであったが、しかし何となくその身の行末空恐しく、ああ人・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・なるほどそれが僕の素人であるところかも知れないと答えたようなものの、私は二宮君にこんな事を反問しました。僕は芝居は分らないが小説は君よりも分っている。その僕が小説を読んで、第一に感ずるのは大体の筋すなわち構造である。筋なんかどうでも、局部に・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・従前婦人病と言えば唯、漠然血の道とのみ称し、其事の詳なるは唯医師の言を聞くのみにして、素人の間には曾て言う者もなく聞く者もなかりしに、近年は日常交際の談話に公然子宮の語を用いて憚る所なく、売薬の看板にさえ其文字を見るのみならず、甚しきは婦人・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・さすがに強情な僕も全く素人であるだけにこの実地論を聞いて半ば驚き半ば感心した。殊に日本画の横顔には正面から見たような目が画いてあるのだといわれて非常に驚いた。けれども形似は絵の巧拙に拘らぬという論でもってその驚きを打ち消してしもうた。その後・・・ 正岡子規 「画」
・・・法律上は素人である平凡なおとなしい市民は、このことからどんな印象をうけたであろうか。今日になっても、検事局は、やっぱり恐ろしいところであるという強い感銘を与えられた。常識では、災難と思えるところに、摘発の専門家の手にかかると、法律上犯罪とな・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・ それは何ゆえであるか。 素人の考えではあるが、洋画の行き方で豊太閤の顔を描き出すことは、容易ではあるまい。いかに単純化した手法を用うるにしても、顔面のあらゆる筋肉や影や色を閑却しようとしない洋画家は、歴史上の人物の肖像を描き得るた・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫