・・・われわれの心に鬱勃たる思想が籠もっておって、われわれが心のままをジョン・バンヤンがやったように綴ることができるならば、それが第一等の立派な文学であります。カーライルのいったとおり「何でもよいから深いところへ入れ、深いところにはことごとく音楽・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・こんな出鱈目な調子では、とても紀元二千七百年まで残るような佳い記録を書き綴る事は出来ぬ。出直そう。 十二月八日。早朝、蒲団の中で、朝の仕度に気がせきながら、園子に乳をやっていると、どこかのラジオが、はっきり聞えて来た。「大本営陸海軍・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・中むけ、あるいは起き直り、読書、たちまち憤激、巷を彷徨、歩きながら詩一篇などの、どうにもお話にならぬ甘ったれた文学書生の状態ゆえ、創作余談、はいそうですか、と、れいの先生らしい苦心談もっともらしく書き綴る器用の真似はできぬのである。 で・・・ 太宰治 「創作余談」
・・・自身が、死んでから五年、十年あとあとの責任まで持って、懸命に考え考えしながら書き綴る文章の、ことごとく、あれは贋物、なるほど天才じゃなど、いい笑いものにされていて、それで、くやしくないのか。堂々、太刀打ちするには、言葉だけでは、だめなんだ。・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・腹ができて立派なる人格を持ち、疑うところなき感想文を、たのしげに書き綴るようになっては、作家もへったくれもない。世の中の名士のひとりに成り失せる。ねんねんと動き、いたるところ、いたるところ、かんばしからぬへまを演じ、まるで、なっていなかった・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・山頂近く、紺青と紫とに染められた岩の割目を綴るわずかの紅葉はもう真紅に色づいているが、少し下がった水準ではまだようやく色づき初めたほどであり、ずっと下の方はただ深浅さまざまの緑に染め分けられ、ほんのところどころに何かの黄葉を点綴しているだけ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・紙を綴ずることができない。紙を綴ることを知らざれば書抜を書くも用をなさぬわけである。事をなすに当って設備の道を講ずるは毫も怪しむに当らない。或人の話に現時操觚を業となすものにして、その草稿に日本紙を用うるは生田葵山子とわたしとの二人のみだと・・・ 永井荷風 「十日の菊」
この一編は、頃日、諭吉が綴るところの未定稿中より、教育の目的とも名づくべき一段を抜抄したるものなれば、前後の連絡を断つがために、意をつくすに足らず、よってこれを和解演述して、もって諸先生の高評を乞う。 教育の・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・ 文人の貧に処るは普通のことにして、彼らがいくばくか誇張的にその貧を文字に綴るもまた普通のことなり。しこうしてその文字の中には胸裏に蟠る不平の反応として厭世的または嘲俗的の語句を見るもまた普通のことなり。これ貧に安んずる者に非ずして貧に・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・何だか苦痛極って暫く病気を感じないようなのも不思議に思われたので、文章に書いて見たくなって余は口で綴る、虚子に頼んでそれを記してもろうた。筆記しおえた処へ母が来て、ソップは来て居るのぞなというた。〔『ホトトギス』第五巻第十一号 明治35・9・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
出典:青空文庫