・・・「御側役平田喜太夫殿の総領、多門と申すものでございました。」「その試合に数馬は負けたのじゃな?」「さようでございまする。多門は小手を一本に面を二本とりました。数馬は一本もとらずにしまいました。つまり三本勝負の上には見苦しい負けか・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・ようだけれども、これは女房が大勢の娘の中に一番末子である所為で、それ、黒のけんちゅうの羽織を着て、小さな髷に鼈甲の耳こじりをちょこんと極めて、手首に輪数珠を掛けた五十格好の婆が背後向に坐ったのが、その総領の娘である。 不沙汰見舞に来てい・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・三人の兄弟で、仁右衛門と申しますあの鼻は、一番の惣領、二番目があとを取ります筈の処、これは厭じゃと家出をして坊さんになりました。 そこで三蔵と申しまする、末が家へ坐りましたが、街道一の家繁昌、どういたして早やただの三蔵じゃあございません・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ お町が家は、松尾の東はずれでな、往来から岡の方へ余程経上って、小高い所にあるから一寸見ても涼しそうな家さ、おれがいくとお町は二つの小牛を庭の柿の木の蔭へ繋いで、十になる惣領を相手に、腰巻一つになって小牛を洗ってる、刈立ての青草を籠に一・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・その分家のやはり内田という農家に三人の男の子が生れた。総領は児供の時から胆略があって、草深い田舎で田の草を取って老朽ちる器でなかったから、これも早くから一癖あった季の弟の米三郎と二人して江戸へ乗出し、小石川は伝通院前の伊勢長といえばその頃の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・相模屋は江戸時代から四代も続いた古い暖簾で五六人の職人を使っていたが、末娘の安子が生れた頃は、そろそろひっそくしかけていた。総領の新太郎は放蕩者で、家の職は手伝わず、十五の歳から遊び廻ったが、二十一の時兵隊にとられて二年後に帰って来ると、す・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・妻の祖母と総領の嫁さんとは私たちの窓の外へ来て悔みを言った。次ぎのK駅では五里ばかし支線を乗ってくる伯母をプラットホームに捜したが、見えなかった。次ぎが弘前であった。 弟の細君の実家――といっても私の家の分家に当るのだが――お母さん、妹・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ さすがに永いヤケな生活の間にも、愛着の種となっていた彼の惣領も、久しぶりで会ってみては、かねがね想像していたようにのんびりと、都会風に色も白く、艶々した風ではなかった。いかにも永い冬と戦ってきたというような萎縮けた、粗硬な表情をしてい・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・この弟夫婦の処に、昨年の秋から、彼の総領の七つになるのが引取られているのであった。 惣治はこれまでとてもさんざん兄のためには傷められてきているのだが、さすがに三十面をしたみすぼらしい兄の姿を見ては、卒気ない態度も取れなかった。彼は兄に、・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・お爺さんは一代のうちに蔵をいくつも建てたような手堅い商人であったが、総領の子息にはいちばん重きを置いたと見えて、長いことかかって自分で経営した網問屋から、店の品物から、取引先の得意までつけてそっくり子息にくれた。ところが子息は、お爺さんから・・・ 島崎藤村 「分配」
出典:青空文庫