・・・ほぼこれと同大のガラス板に墨と赤および緑のインキでいいかげんな絵を描いたのをこの小さなスクリーンの直接の背後へくっつけて立てて、その後ろに石油ランプを置くだけである。もっともそのスクリーンの周囲の同平面をふろしきやボール紙でともかくもふさい・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・私は是非とも、新に二度目の飼犬を置くように主張したが、父は犬を置くと、さかりの時分、他処の犬までが来て生垣を破り、庭を荒すからとて、其れなり、家中には犬一匹も置かぬ事となった。尤も私は、その以前から、台所前の井戸端に、ささやかな養所が出来て・・・ 永井荷風 「狐」
・・・彼はいつでも冬季の間に肥料を拵えて枯らして置くことを怠らなかった。西瓜の粒が大きく成るというので彼は秋のうちに溝の底に靡いて居る石菖蒲を泥と一つに掻きあげて乾燥して置く。麦の間を一畝ずつあけておいてそこへ西瓜の種を下ろす。畑のめぐりには蜀黍・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・男は傍らにある羊皮の表紙に朱で書名を入れた詩集をとりあげて膝の上に置く。読みさした所に象牙を薄く削った紙小刀が挟んである。巻に余って長く外へ食み出した所だけは細かい汗をかいている。指の尖で触ると、ぬらりとあやしい字が出来る。「こう湿気てはた・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 彼は、座席へバスケットを置くと、そのまま食堂車に入った。 ビールを飲みながら、懐から新聞紙を出して読み始めた。新聞紙は、五六種あった。彼は、その五つ六つの新聞から一つの記事を拾い出した。「フン、棍棒強盗としてあるな。どれにも棍・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・『乃公はもう何んにも思い置く事はねえよ。村に帰ったら、皆さんへ宜敷く云って呉れるがいい。』『ああ、能う御座えますよ。』 二人はもう何も云う事がなくなった様に、互に顔を見てお居ででしたが、女の人は急に思出した様に、抱いて居た赤さんの顔・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・呉々も心得置く可し。扨又結婚の上は仮令い命を失うとも心を金石の如くに堅くして不義するなとは最も好き教訓にして、男女共に守る可き所なれども、我国古来の習俗を見れば、一夫多妻の弊は多くして、一妻多夫の例は稀なるゆえ、金石の如き心は特に男子の方に・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ されば、外国文を翻訳する場合に、意味ばかりを考えて、これに重きを置くと原文をこわす虞がある。須らく原文の音調を呑み込んで、それを移すようにせねばならぬと、こう自分は信じたので、コンマ、ピリオドの一つをも濫りに棄てず、原文にコンマが三つ・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・そう云う態度に自身を置くことが出来るように、この男は修養しているのである。オオビュルナン先生はこんな風に考えている。もっともそれは先生だけの考えかも知れない。文人は年を取るにしたがって落想が鈍くなる。これは閲歴の爛熟したものの免れないところ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・忽ち親み、忽ち疎ずるのが君の習で、咬み合せた歯をめったに開かず、真心を人の腹中に置くのが僕の性分であった。不遠慮に何にでも手を触れるのが君の流儀で、口から出かかった詞をも遠慮勝に半途で止めるのが僕の生付であった。この二人の目の前にある時一人・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫