・・・己は人工を弄んだために太陽をも死んだ目から見、物音をも死んだ耳から聴くようになったのだ。己は何日もはっきり意識してもいず、また丸で無意識でもいず、浅い楽小さい嘆に日を送って、己の生涯は丁度半分はまだ分らず、半分はもう分らなくなって、その奥の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ 曙覧の事蹟及び性行に関しては未だこれを聞くを得ず。歌集にあるところをもってこれを推すに、福井辺の人、広く古学を修め、つとに勤王の志を抱く。松平春岳挙げて和歌の師とす、推奨最つとむ。しかれども赤貧洗うがごとく常に陋屋の中に住んで世と容れ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・私もしばらくは耐えて膝を両手で抱えてじっとしていましたけれどもあんまり蜂雀がいつまでもだまっているもんですからそれにそのだまりようと云ったらたとえ一ぺん死んだ人が二度とお墓から出て来ようたって口なんか聞くもんかと云うように見えましたのでとう・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・書生にも同じ事を聞く。 十二時すぎに、待ち兼ねて居たものが来た。 葉書の走り書きで、今日の午後に来ると云ってよこしたんで急に書斎でも飾って見る気になる。 机の引出しから私だけの「つやぶきん」を出して本棚や机をふいて、食堂から花を・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・ 木村はこう云う事を聞く度に、くすぐられるような心持がする。それでも例の晴々とした顔をして黙っている。「こないだ太陽を見たら、君の役所での秩序的生活と芸術的生活とは矛盾していて、到底調和が出来ないと云ってあったっけ。あれを見たかね。・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・むずかしく申しますと、「無声に聴く」と云うことが一頭曳の馬車では出来なくなりますのですね。そこで肝心のだんまりも見事にお流れになりましたの。それと一しょに何もかもお流れになりましたのね。まあ、本当に迷ってしまっている女にだって、何もかも大き・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・「武士とや。打揃は」「道服に一腰ざし。むくつけい暴男で……戦争を経つろう疵を負うて……」「聞くも忌まわしい。この最中に何とて人に逢う暇が……」 一たびは言い放して見たが、思い直せば夫や聟の身の上も気にかかるのでふたたび言葉を・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・彼は遠い物音を聞くように少し首を延ばして、癖ついた幽かな笑いを脣に浮かべながら水菜畑を眺めていた。数羽の鶏の群れが藁小屋を廻って、梨の木の下から一羽ずつ静に彼の方へ寄って来た。「好えチャボや。」と安次は呟いて鶏の群れを眺めていた。 ・・・ 横光利一 「南北」
・・・「余計な事を聞くようだが、わたしは小説を書くものだからね。」 この時相手は初めて顔を上げた。「小説家でおいでなさるのですか。デネマルクの詩人は多くこの土地へ見えますよ。」「小説なんと云うものを読むかね。」 エルリングは頭を振った・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・そのお話しというのは、ほんとうに有そうな事ではないんでしたが、奥さまの柔和くッて、時として大層哀っぽいお声を聞くばかりでも、嬉しいのでした。一度なんぞは、ある気狂い女が夢中に成て自分の子の生血を取てお金にし、それから鬼に誘惑されて自分の心を・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫