・・・ 私の知ってるある文筆夫人に、女学校へも行かなかった人だが、事情あって娘のとき郷里を脱け出て上京し、職業婦人になって、ある新聞記者と結婚し、子どもを育て、夫を助けて、かなり高い社会的地位まで上らせ、自分も独学して、有名な文筆夫人になってい・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
いろ/\なものを読んで忘れ、また、読んで忘れ、しょっちゅう、それを繰りかえして、自分の身についたものは、その中の、何十分の一にしかあたらない。僕はそんな気がしている。がそれは当然らしい。中には、毒になるものがあるし、また、・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・特にわたくしは所謂学生生活を仕た歳月が甚だ少くて、むしろ学生生活を為ずに過して仕舞ったと云っても宜い位ですから、自分の昔話をして今の学生諸君に御聞かせ申そうというような事は、実際ほとんど無いと云ってもよいのです。ですから平に御断りを致します・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・いくら新聞では見、ものの本では読んでいても、まさかに自分が、このいまわしい言葉と、眼前直接の交渉を生じようと予想した者は、一個もあるまい。しかも、わたくしは、ほんとうにこの死刑に処せられんとしているのである。 平生わたくしを愛してくれた・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・その人は母親に、自分たちのしている仕事のことを話して、中にいる息子さんの事には少しも心配しなくてもいゝと云った。「救援会」の人だった。然し母親は、駐在所の旦那が云っているように、あんな恐ろしいことをした息子の面倒を見てくれるという不思議な人・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・今度わたしはその人の愛したものを自分でもすこしばかり植えて見て、どの草でも花咲くさかりの時を持たないものはないことを知った。おそらくどんな芸術家でも花の純粋を訳出することは不可能だと言って見せたロダンのような人もあるが、その言葉に籠る真実も・・・ 島崎藤村 「秋草」
一 私は今ここに自分の最近両三年にわたった芸術論を総括し、思想に一段落をつけようとするにあたって、これに人生観論を裏づけする必要を感じた。 けれども人生観論とは畢竟何であろう。人生の中枢意義は言うまでもなく実行である。人生観・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・その様子が自分の前を歩いているものを跡からこづいて、立ち留らせて、振返えらせようとするようである。 しかし誰もこの老人に構っているものはない。誰も誰も自分の事を考えている。自分の不平を噛み潰しているのである。みな頭と肩との上に重荷を載せ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ウイリイは自分でも知らないのですから、だれの顔だとも言うことが出来ませんでした。 そうすると王さまは、「お前はわしに隠しだてをするのか。それではわしが話してやろう。これはこの世界中で一ばん美しい王女の顔だ。」とお言いになりました。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・世間で彼此云ってわたしの耳に這入らないうちに、あの人が自分で話したから好かったわね。フリイデリイケばかりではないわ。一体なんだってどの女もどの女もあの人にでれ付くのだろう。なんでもあの人があの役所に勤めているもんだから、芝居へ買われる時に、・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
出典:青空文庫