・・・もっとも恋愛の円満に成就した場合は別問題ですが、万一失恋でもした日には必ず莫迦莫迦しい自己犠牲をするか、さもなければもっと莫迦莫迦しい復讐的精神を発揮しますよ。しかもそれを当事者自身は何か英雄的行為のようにうぬ惚れ切ってするのですからね。け・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・彼といえどもさすがにそれほど自己を偽瞞することはできなかった。 けれどもあまりといえばあんまりだった。小作人たちは、「さあ、ずっとお寄りなさって。今日は晴れているためかめっきり冷えますから」 と早田が口添えするにもかかわらず、彼・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ そしてまた自分が英雄だ、自己の利害を顧みずに義務を果す英雄だと思った。 奥さんは夫と目を見合せて同意を表するように頷いた。しかしそれは何と返事をして好いか分からないからであった。「本当に嫌でも果さなくてはならない義務なのだろう・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
一 数日前本欄に出た「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住氏の論文は、今日における我々日本の青年の思索的生活の半面――閑却されている半面を比較的明瞭に指摘した点において、注意に値するものであった。け・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・苦心談、立志談は、往々にして、その反対の意味の、自己吹聴と、陰性の自讃、卑下高慢になるのに気附いたのである。談中――主なるものは、茸で、渠が番組の茸を遁げて、比羅の、蛸のとあのくたらを説いたのでも、ほぼ不断の態度が知れよう。 但し、以下・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・外国人は因襲を知らないから少しも因襲に累わされないで、自己の鑑賞力の認めるままに直ちに芸術的価値を定める。この通弊は単に画のみの問題でなく、また独り日本ばかりの問題でもない。総ての公平な判断や真実の批評は常に民族的因襲や国民的偏見に累わされ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 其人の饑渇は充分に癒さるべければ也とのことである、而して是れ現世に於て在るべきことでない事は明である、義を慕う者は単に自己にのみ之を獲んとするのではない、万人の斉く之に与からんことを欲するのである、義を慕う者は義の国を望むのである、而して・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・秋から冬にかけて木枯の寒い晩に一人の女性が、人生に感傷して歩いていたと云う姿が浮んで来る。自己対自然と云う悠遠な感じがどの作品にも脉打つように流れている。 僕はそれ等の作品を目して、セルフがはっきりと出ているからだと云いたい。それは即ち・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・ いじらしい許りの自己紹介だった。「ふーん。ミネちゃんのお父つぁんやお母はんは……?」 きくと、ミネ子はわっと泣きだした。「判った、判った。もう泣きな、泣きな。ミネちゃんが泣くと、おっさんまで泣きとなる」 しかし、なかな・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・あの明確な頭脳の、旺盛な精力の、如何なる運命をも肯定して驀地らに未来の目標に向って突進しようという勇敢な人道主義者――、常に異常な注意力と打算力とを以て自己の周囲を視廻し、そして自己に不利益と見えたものは天上の星と雖も除き去らずには措かぬと・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫