・・・れほど、前から、たとえ主観的なものであるにもしろ政治家としてのトルーマンの確信がはっきりわかっていたのなら、日本の公器であるはずの日本の新聞が、どうして公平に記事を選ばず、デューイ当選を、まるで既定の至上事実のようにわたしたちに宣伝しなけれ・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・そして、まごころをもって芸術を愛し、人間の創造力に価値を見出すものであるなら、謂わば芸術至上の現実的過程としてさえも、ブルジョア社会の文学は自身の発展のために社会主義への方向をとるしかないことを確信するようになった。 ロシアの革命の歴史・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・いきおい陳腐な本質の粉飾としての形式主義に、芸術至上主義に堕さざるを得ない。 この点プロレタリア作家は全く根底を異にしていると思う。プロレタリア作家こそプロレタリア階級の発展の各モメントとともに発展し得る。プロレタリア作家が唯物弁証的把・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・以下三十篇ちかい歴史的素材の小説も、やはり歴史小説でないことでは芥川の扱いかたに似ているが、芥川龍之介が知的懐疑、芸術至上の精神、美感、人生的哀感の表現として過去に題材を求めたのとは異って、菊池寛は、自身が日常に感じる生活への判断をテーマと・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ 彼の人々は、至上に自己を愛しながら自らの心を痛め、苦痛、不愉快を日一日と加えて行くではないか。真から一歩一歩遠ざかるが故に煩悶はますのである。 思いがけぬ醜い仮面の陰に箇人主義の真心は歎いて居る。 自己完成に思い至らぬ人の心を・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・芸術至上主義ととなりあわせて極めて卑俗な楽壇世渡り、社交性が、芸術家に必要な社会性とすりかえられて並んでいます。俳優の生活は旧套の中から既に舞台芸術家として、新しい生活方法に入っている前進座のような実例がありますが、音楽家には、ここで俳優と・・・ 宮本百合子 「期待と切望」
・・・ この混乱と没規準とが頂点に達した一九三四年後半、上述のような混迷した芸術至上主義、人間的文学論に飽き足りない一団の批評家、作家によって、一つの文学的気運が醸し出された。舟橋聖一、豊田三郎、小松清等の諸氏によって提唱されはじめた「行動主・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・にしろ、「芸術至上主義の現代的悲劇」にしろ、「現代の創作方法論」にしろ、いずれもそれが云える。 文学において、創作の方法というものは、何とまざまざとその作家の社会的で芸術的な生きかた全幅を示すものであろうかということも、興味ふかく考えさ・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・このことは旧い用語での芸術至上の考えかたとは別である。 文学について、じっくりと生活に根ざし、痙攣的でない感覚と通念とがどんなに必要となっているかは、私たち皆の胆に銘じて来ていることだし、今日文学を読む千万人が感じている国民的真実の一つ・・・ 宮本百合子 「実感への求め」
・・・とし、更に一転して「ひとり芸術至上主義者に限らず、僕はあらゆる至上主義者、――たとへばマッサアジ至上主義者にも好意と尊敬とを有するを常とす」と彼らしく皮肉な自己の知的優越をもほのめかさずにはいられなかった。当時流行作家であったと共に一部から・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫