・・・すべてが、彼の道徳上の要求と、ほとんど完全に一致するような形式で成就した。彼は、事業を完成した満足を味ったばかりでなく、道徳を体現した満足をも、同時に味う事が出来たのである。しかも、その満足は、復讐の目的から考えても、手段から考えても、良心・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ただあなたの、――あなたのお供を致すのでございます。」 孫七は長い間黙っていた。しかしその顔は蒼ざめたり、また血の色を漲らせたりした。と同時に汗の玉も、つぶつぶ顔にたまり出した。孫七は今心の眼に、彼の霊魂を見ているのである。彼の霊魂を奪・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・「そんな気は誰でも致すものでございますよ。爺やなどはいつぞや御庭の松へ、鋏をかけて居りましたら、まっ昼間空に大勢の子供の笑い声が致したとか、そう申して居りました。それでもあの通り気が違う所か、御用の暇には私へ小言ばかり申して居るじゃござ・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・依怙を致す訣もございませぬ。しかし数馬は依怙のあるように疑ったかとも思いまする。」「日頃はどうじゃ? そちは何か数馬を相手に口論でも致した覚えはないか?」「口論などを致したことはございませぬ。ただ………」 三右衛門はちょっと云い・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・今後は必ずとも、他出無用に致すように、別して、出仕登城の儀は、その方より、堅くさし止むるがよい。」 佐渡守は、こう云って、じろりと宇左衛門を見た。「唯だ主につれて、その方まで逆上しそうなのが、心配じゃ。よいか。きっと申しつけたぞ。」・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ しかし、私が閣下にこう云う事を御訴え致すのは、単に私たち夫妻に無理由な侮辱が加えられるからばかりではございません。そう云う侮辱を耐え忍ぶ結果、妻のヒステリイが、益昂進する傾があるからでございます。ヒステリイが益昂進すれば、ドッペルゲン・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・が、時々往来のものの話などで、あの建札へこの頃は香花が手向けてあると云う噂を聞く事でもございますと、やはり気味の悪い一方では、一かど大手柄でも建てたような嬉しい気が致すのでございます。「その内に追い追い日数が経って、とうとう竜の天上する・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」 その農家の親仁が、「へいへい、山雀の宿にござります。」「ああ、風情なものじゃの。」 能の狂言の小舞の謡に、いたいけしたるものあり。張子の顔や、練稚児。しゅくしゃ結び・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・きいた事を提出致しまして、そして皆さんの思召に酬いる、というような巧なる事はうまく出来ませぬので、已むを得ず自分の方の圃のものをば、取り繕いもしませんで無造作に持出しまして、そして御免を蒙るという事に致すことにしました。ちょうど温かい心もち・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・きのう永井荷風という日本の老大家の小説集を読んでいたら、その中に、「下々の手前達が兎や角と御政事向の事を取沙汰致すわけでは御座いませんが、先生、昔から唐土の世には天下太平の兆には綺麗な鳳凰とかいう鳥が舞い下ると申します。然し当節のように・・・ 太宰治 「三月三十日」
出典:青空文庫