・・・と、この世も何もないような厭な気になって、街道の塵埃が黄いろく眼の前に舞う。校正の穴埋めの厭なこと、雑誌の編集の無意味なることがありありと頭に浮かんでくる。ほとんど留め度がない。そればかりならまだいいが、半ば覚めてまだ覚め切らない電車の美し・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・というのは、やはり四人で舞うのだが、この舞の舞人の着けている仮面の顔がよほど妙なものである。ちょっと恵比寿に似たようなところもあるが、鼻が烏天狗の嘴のように尖って突出している。柿の熟したような色をしたその顔が、さもさも喜びに堪えないといった・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・赤裸の心を出さにゃならぬワ、昨日今日知りあった仲ではないに……第一の精霊ほんとうにそうじゃ、春さきのあったかさに老いた心の中に一寸若い心が芽ぐむと思えば、白髪のそよぎと、かおのしわがすぐ枯らして仕舞うワ。ほんとに白状しよう、わきを向いて・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・「私はお前に一番好いところを捧げつくしてしまったんだから、キッともうじきに死んでし舞うだろう。私は心から御前を思ってたけれ共お前は私を自分の美くしくなる肥料につかったっきりなんだものネエ、見こまれたと知ってにげられなかったんだもの。私は・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・下岡蓮杖の功績が新しく人々の科学常識の間にとりいれられたのは結構であったし、カメラを愛好する若い人々にとって、ターキーの舞台姿のポーズをとられたのも、鎌倉の波うちぎわで舞う女の躍動をうつせたのも、楽しいことの一つであったにちがいない。 ・・・ 宮本百合子 「カメラの焦点」
・・・その旋風のつよさは、半蔵門に基さんが居たとき、三尺に五尺ほどのトタン板がヒラヒラと舞う。 三日の晩松坂屋がやけ始め 四日の朝六時に不忍池の彼方側ですっかり火がしずまった。 父上が先の森さんのうちの前で見ると、九十度位の角度に火が拡っ・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・――アポローばりの立琴をきかせられたり、優らしい若い女神が、花束飾りをかざして舞うのを見せられたりすると、俺の熾な意気も変に沮喪する。今も、あの宮の階段を降りかけていると丸々肥って星のような眼をした天童が俺を見つけて、「もうかえゆの? 又、・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・ 銀と黄金と私の心と―― 一つの大きなかたまりとなって偉大な宙に最善の舞を舞う。 稲の刈りあとと桑の枯木 田の稲の刈り取られたままひからびた様子は淋しい気持がするものだと先からの人達は云って居る。けれ共二十本・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・花は舞う。草木は歌う。勢づいた流れの水は、旋律につれて躍り上り跳ね上って、絶間ない霧で、天と地との間を七色に包む。 ありとあらゆるものが、魔法のような美くしいうちに、乙女の声は体の顫える力と魅力をもって澄み上って行ったのです。 ユー・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・さてイイダ姫の舞うさまいかにと、芝居にて贔屓の俳優みるここちしてうち護りたるに、胸にそうびの自然花を梢のままに着けたるほかに、飾りというべきもの一つもあらぬ水色ぎぬの裳裾、せまき間をくぐりながらたわまぬ輪を画きて、金剛石の露こぼるるあだし貴・・・ 森鴎外 「文づかい」
出典:青空文庫