・・・自分が子供の時に比べれば、河の流れも変わり、芦荻の茂った所々の砂洲も、跡かたなく埋められてしまったが、この二つの渡しだけは、同じような底の浅い舟に、同じような老人の船頭をのせて、岸の柳の葉のように青い河の水を、今も変わりなく日に幾度か横ぎっ・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・おまけに僕等の船の船頭の一人も矢張り猟の名人だということである。しかしかゝる禽獣殺戮業の大家が三人も揃っている癖に、一羽もその日は鴨は獲れない。いや、鴨たると鵜たるを問わず品川沖におりている鳥は僕等の船を見るが早いか、忽ち一斉に飛び立ってし・・・ 芥川竜之介 「鴨猟」
・・・ 譚は若い船頭に命令を与える必要上、ボオトの艫に陣どっていた。が、命令を与えるよりものべつに僕に話しかけていた。「あれが日本領事館だ。………このオペラ・グラスを使い給え。………その右にあるのは日清汽船会社。」 僕は葉巻を銜えたま・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ 今はたとい足許が水になって、神路山の松ながら人肌を通す流に変じて、胸の中に舟を纜う、烏帽子直垂をつけた船頭なりとも、乗れとなら乗る気になった。立花は怯めず、臆せず、驚破といわば、手釦、襟飾を隠して、あらゆるものを見ないでおこうと、胸を・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・我が勇しき船頭は、波打際の崖をたよりに、お浪という、その美しき恋女房と、愛らしき乳児を残して、日ごとに、件の門の前なる細路へ、衝とその後姿、相対える猛獣の間に突立つよと見れば、直ちに海原に潜るよう、砂山を下りて浜に出て、たちまち荒海を漕ぎ分・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・よくおばあさんや、おじいさんから話に聞いている人買い船に姫さまがさらわれて、白帆の張ってある船に乗せられて、暗い、荒海の中を鬼のような船頭に漕がれてゆくのでありました。三人は、それを見終わってしまうと、「ああ、怖い。かわいそうに。」・・・ 小川未明 「夕焼け物語」
・・・そりゃ三文渡しの船頭も船乗りなりゃ川蒸気の石炭焚きも船乗りだが、そのかわりまた汽船の船長だって軍艦の士官だってやっぱり船乗りじゃねえか。金さんの話で見りゃなかなか大したものだ、いわば世界中の海を跨にかけた男らしい為事で、端月給を取って上役に・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・奉公人への指図はもちろん、旅客の応待から船頭、物売りのほかに、あらくれの駕籠かきを相手の気苦労もあった。伏見の駕籠かきは褌一筋で銭一貫質屋から借りられるくらい土地では勢力のある雲助だった。 しかし、女中に用事一つ言いつけるにも、まずかん・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ かの字港に着くと、船頭がもう用意をして待っていた。寂しい小さな港の小さな波止場の内から船を出すとすぐ帆を張った、風の具合がいいので船は少し左舷に傾ぎながら心持ちよく馳った。 冬の寒い夜の暗い晩で、大空の星の数も読まるるばかりに鮮や・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・売っている品は言わずもがなで、食ってる人は大概船頭船方の類にきまっている。鯛や比良目や海鰻や章魚が、そこらに投げ出してある。なまぐさい臭いが人々の立ち騒ぐ袖や裾にあおられて鼻を打つ。『僕は全くの旅客でこの土地には縁もゆかりもない身だから・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
出典:青空文庫