・・・得ての、空の美しい虹の立つ時は、地にも綺麗な花が咲くよ。芍薬か、牡丹か、菊か、猿が折って蓑にさす、お花畑のそれでなし不思議な花よ。名も知れぬ花よ。ざっと虹のような花よ。人間の家の中に、そうした花の咲くのは壁にうどんげの開くとおなじだ。俺たち・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ また髪は、何十度逢っても、姿こそ服装こそ変りますが、いつも人柄に似合わない、あの、仰向けに結んで、緋や、浅黄や、絞の鹿の子の手絡を組んで、黒髪で巻いた芍薬の莟のように、真中へ簪をぐいと挿す、何転進とか申すのにばかり結う。 何と絵蝋・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・早い話が牡丹の花片のひたしもの、芍薬の酢味噌あえ。――はあはあと、私が感に入って驚くのを、おかしがって、何、牡丹のひたしものといった処で、一輪ずつ枝を折る殺風景には及ばない、いけ花の散ったのを集めても結構よろしい。しかし、贅沢といえば、まこ・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・「次郎ちゃん、芍薬の芽が延びてよ。」 末子は庭にいながら呼んだ。「蔦の芽も出て来たわ。」 と、また石垣の近くで末子の呼ぶ声も起こった。 遠い山地のほうにできかけている新しい家が、別にこの私たちに見えて来た。こんな落ち・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・おかあさんは門をはいって、芍薬と耘斗葉の園に行きました。見ると窓にはみんなカーテンが引いてありまして、しかもそれがことごとく白い色でした。ただ一つの屋根窓だけが開いていて、二つの棕櫚の葉の間から白い手が見えて、小さなハンケチを別れをおしんで・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・一檐ノ彩錦斜陽ニ映ズルハ駝ノ芍薬ヲ売ルナリ。満園ノ奇香微風ニ動クハ菟裘ノ薔薇ヲ栽ルナリ。ソノ清幽ノ情景幾ンド画図モ描ク能ハズ。文詩モ写ス能ハザル者アリ。シカシテ遊客寥々トシテ尽日舟車ノ影ヲ見ザルハ何ゾヤ。」およそ水村の風光初夏の時節に至って・・・ 永井荷風 「向嶋」
芍薬「これ 八百屋の店先に バケツにつけてあったの。一束八銭よ これだけで十六銭 やすいでしょう。こないだ夜店で一輪五銭の蕾買って来たら みんなさいて迚もうれしかった――この色少し気にいらないんだけれど……・・・ 宮本百合子 「生活の様式」
・・・紫陽花と矢車草と野茨と芍薬と菊と、カンナは絶えず三方の壁の上で咲いていた。それは華やかな花屋のような部屋であった。彼は夜ごとに燭台に火を付けると、もしかしたらこっそりこの青ざめた花屋の中へ、死の客人が訪れていはしまいかと妻の寝顔を覗き込んだ・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫