・・・低く円るく刈り込まれた松の木が、青々とした綺麗な芝生の上に何本も植えられていて、その間の小径の、あちこちに赤い着物が蹲んで、延び過ぎた草を呑気そうに摘んでいた。黒いゲートルを巻いた、ゴム足袋の看守が両手を後にまわして、その側をブラ/\しなが・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・細い幹の松が植えてある芝生の間の小径のところで、相川、原の二人は書生連に別れて、池に添うて右の方へ曲った。原が振返った時は、もう青木も布施も見えなかった。 原は嘆息して、「今の若い連中は仲々面白いことを考えてるようだね」「そりゃ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ 大きなぶちの牝牛よ、 小さなぶちの牝牛よ、 白いぶちの牝牛よ、 みんなここへお出でなさい。 芝生にいる、 その四ひきもお出でなさい。 それから灰色のお前も、 王さまのところから来た、 白い牝牛も、 ・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・庭は一面に裏枯れた芝生である。離れの中二階の横に松が一叢生えている。女松の大きいのが二本ある。その中に小さな水の溜りがある。すべてこの宅地を開く時に自然のままを残したのである。 藤さんは、水のそばの、苔の被った石の上に踞んでいる。水ぎわ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・女中に案内されて客間にとおされ、わざと秀才の学生らしく下手にきちんと坐って、芝生の敷きつめられたお庭を眺め、筆一本でも、これくらいの生活ができるのだ、とずいぶん気強く思ったものだ。こよい死ぬる者にとってはふさわしからぬ安堵の溜息がほっと出て・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・春になればし、雪こ溶け、ふろいふろい雪の原のあちこちゆ、ふろ野の黄はだの色の芝生こさ青い新芽の萌えいで来るはで、おらの国のわらわ、黄はだの色の古し芝生こさ火をつけ、そればさ野火と申して遊ぶのだおん。そした案配こ、おたがい野火をし距て、わらわ・・・ 太宰治 「雀こ」
・・・園内の芝生は割合に気持のいいところである。芝生の真中で三、四人弁当をひろげて罎詰めの酒を酌んでいる一団がある。中年の商人風の男の中に交じった一人の若い女の紫色に膨れ上がった顔に白粉の斑になっているのが秋の日にすさまじく照らし出されていた。一・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ H温泉旅館の前庭の丸い芝生の植え込みをめぐって電燈入りの地口行燈がともり、それを取り巻いて踊りの輪がめぐるのである。まだ宵のうちは帳場の蓄音機が人寄せの佐渡おけさを繰り返していると、ぽつぽつ付近の丘の上から別荘の人たちが見物に出かけて・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・左の方はひろい芝生つづきの庭が見え、右の方は茄子とか、胡瓜を植えた菜園に沿うて、小さい道がお勝手口へつづいている。もちろん私はお勝手口の方へその小さい菜園の茄子や胡瓜にこんにゃく桶をぶっつけぬように注意しながらいったのであるが、気がつくと、・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・この室にはベランダはなかったが、バルコンのついた仏蘭西風の窓に凭ると、芝生の向に事務所になった会社の建物と、石塀の彼方に道路を隔てて日本領事館の建物が見える。その頃には日本の租界はなかったので、領事館を始め、日本の会社や商店は大抵美租界の一・・・ 永井荷風 「十九の秋」
出典:青空文庫