・・・あ、寒蛬の悪く啼きやあがるのに、よじりもじりのその絞衣一つにしたッ放しで、小遣銭も置いて行かずに昨夜まで六日七日帰りゃあせず、売るものが留守に在ろうはずは無し、どうしているか知らねえが、それでも帰るに若干銭か握んで家へ入えるならまだしもとい・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・地上の熱度漸く下降し草木漸く萠生し那辺箇辺の流潦中若干原素の偶然相抱合して蠢々然たる肉塊を造出し、日照し風乾かし耳目啓き手足動きて茲に乃ち人類なる者の初て成立せし以来、我日本の帝室は常に現在して一回も跡を斂めたることなし。我日本の帝室は開闢・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・小学校のときからその文章をうたわれ、いまは智識ある異国人にさえ若干の頭脳を認められている彼もまた。家の前庭のおおきい栗の木のしたにテエブルと椅子を持ちだし、こつこつと長編小説を書きはじめた。彼のこのようなしぐさは、自然である。それについては・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・しかし、私も若干馬齢を加えるに及び、そのような風変りの位置が、一個の男児としてどのように不面目、破廉恥なものであるかに気づいていたたまらなくなりまして、「こぞの道徳いまいずこ」という題の、多少、分別顔の詩集を出版いたしましたところ、一ぺんで・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・これは多くの人に色々な意味で色々な向きの興味があると思われるから、その中から若干の要点だけをここに紹介したいと思う。アインシュタイン自身の言葉として出ている部分はなるべく忠実に訳するつもりである。これに対する著者の論議はわざと大部分を省略す・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・そうしてこの二群の間には常に若干の「尊敬の間隔」が厳守せられているかのように見えていた。ところがある日その神聖な規律を根底から破棄するような椿事の起こったのを偶然な機会で目撃することができた。いつものように夫婦仲よく並んで泳いでいたひとつが・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・それから若干の単語の正しい発音を教えてやったりしたが、しかしこれはかえって教えたり正したりしないでそのままに承認してやった方がよいのではないかとも思ってみた。永い間胸に抱いてきた罪のない夢の国の美しい夢を冷たい現実でかき乱すのは気の毒で残酷・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・それだから女形の男優は、女というものの特徴を若干だけ抽象し、そうしてそれだけを強調して表現する。無生の人形はさらにいっそう人間の女になれるはずがない。それだからさらにいっそうこれらの特徴を強調する。その不自然な強調によって「個々の女」は消失・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
浮世絵というものに関する私の知識は今のところはなはだ貧弱なものである。西洋人の書いた、浮世絵に関する若干の書物のさし絵、それも大部分は安っぽい網目版の複製について、多少の観察をしたのと、展覧会や収集家のうちで少数の本物を少・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・ それでもし各種母音に相当する口腔の形状大小を規定する若干の数量が定められれば、歌の口調というものはこれらの量を時間の函数として与える数個の方程式で与えられることになるので、従って口調というものの科学的研究がとにかくも可能になる訳である・・・ 寺田寅彦 「歌の口調」
出典:青空文庫