・・・これは映画の草昧時代において、波の寄せては砕けるさまがそのままに映るのを見せて喜ばせたと同様に、トーキーというものにまだ一度も接したことのない観客に、丸髷の田中絹代嬢の「ネー、あなたあ」というような声を聞かせて喜ばせようというだけの目的であ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・出来るだけ伝統的の型を離れるには一度あらゆるものを破壊し投棄して原始的の草昧時代に帰り、原始人の眼をもって自然を見る事が必要である。こういう主張は実は単なる言詞としては決して新しいものではないだろうが、日本画家で実際にこの点に努力し実行しつ・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・ 人類がまだ草昧の時代を脱しなかったころ、がんじょうな岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、たいていの地震や暴風でも平気であったろうし、これらの天変によって破壊さるべきなんらの造営物をも持ち合わせなかったのである。もう少し文化が進んで小・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・ その後、宝暦明和の頃、青木昆陽、命を奉じてその学を首唱し、また前野蘭化、桂川甫周、杉田いさい等起り、専精してもって和蘭の学に志し、相ともに切磋し、おのおの得るところありといえども、洋学草昧の世なれば、書籍はなはだ乏しく、かつ、これを学・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・まさかお父う様だって、草昧の世に一国民の造った神話を、そのまま歴史だと信じてはいられまいが、うかと神話が歴史でないと云うことを言明しては、人生の重大な物の一角が崩れ始めて、船底の穴から水の這入るように物質的思想が這入って来て、船を沈没させず・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫